経営者のための映画講座 第60作『ファイブ・イージー・ピーセス』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『ファイブ・イージー・ピーセス』で終わったマッチョな男の時代

1960年頃にフランスで湧きあがった「新しい映画の波」は、映画の新しい撮り方と新しい楽しみ方の波だった。新しい水夫が乗る舟は新しいのさ、というわけだ。しかし、どういうわけか、アメリカで同時期に発生した「アメリカの新しい映画」は、世代間の断絶や生きづらさについて描かれることの多い、新たな苦悩についての映画群だった。

その中でも、ボブ・ラフェルソンが1970年に発表した『ファイブ・イージー・ピーセス』は、古き良きアメリカとベトナム戦争に疲弊したアメリカが描かれ、すでに現在の二極化する世界の発芽が描かれていたような気がする。

主人公は上流の音楽一家に生まれたのだが、馴染めずに石油採掘現場で油まみれになって働いている。そして、優しいけれど品のないウェイトレスの女と暮らしながら、刹那的に日々を暮らしているのである。

こういう男の最大の欠点は、話さなければならない相手と真正面から話せないことだ。口利きをしてくれそうな相手を見つけ、ついつい回り道をして真意を伝えることができなくなってしまう。この映画の主人公が人生最大の理解者であり、壁である頑固な父と向き合えたのは、父親が病に倒れ後遺症によって口もきけなくなってからだ。

そんな怖がりな男が、生まれ故郷に帰り、口がきけなくなった父の車椅子を押しながら言う。「父さん、俺がいると、そこが腐っちまうんだ」と。その言葉通り、それなりにバランスを取りながら暮らしている男の実家も、彼が帰ってきたことで波風が立ち、やがて男はそこを立ち去らなくてはならなくなる。

相変わらず、優しいけれど品のないウェイトレスの女は、「私がいるから大丈夫」と慰めてくれるが、その慰めは失ってしまったものを男に突き付けることにしかならないのである。汗まみれの石油採掘現場があり、浮気相手がいて、女が働くダイナーがある土地へ車を走らせている最中。ガソリンスタンドで男は女を車と共に置き去りにする。通りすがりのトラックの助手席に乗り込み、何処へでもいいから連れて行ってくれ、と頼む。走り出すトラック。鼻歌を歌いながら車の中で男を待つ女。この映画はアメリカン・ニューシネマの傑作と言われているが、同時にマッチョな男の終焉を物語る映画でもある。

ここではない、どこか。これではない、なにか。そんなことばかりを考え、真っ正面から口をきけないこの映画の主人公のような人物も、いまや絶滅危惧種なのかもしれない。ついこのだいだ、若い男の子に「こういう映画の主人公の気持ちわかる?」と聞くと「わからないこともないけれど、いまどき言いたいことはSNSで言っちゃうから余計にややこしいかも。この映画の人たち、わかりやすいですよね」とニッコリ笑うのだった。思い悩むアメリカン・ニューシネマのヒーローも彼らにとっては、単純で芝居がかった人間に見えるのかもしれない。

悩める経営者も、彼らから見れば、まるでシェークスピアを演じる大仰な役者に見えるのかもしれない。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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