この対談について
庭師でもない。外構屋でもない。京都の老舗での修業を経て、現在は「家に着せる衣服の仕立屋さん(ガーメントデザイナー)」として活動する中島さん。そんな中島さんに「造園とガーメントの違い」「劣化する庭と成長する庭」「庭づくりにおすすめの石材・花・木」「そもそもなぜ庭が必要なのか」といった幅広い話をお聞きしていきます。
基本的にいまは中島さんがすべて指揮をとっていると思うんですが、今後さらに依頼が増えていったら、中島さん1人ではこなせくなっちゃいますよね。
そうですね。将来的には人を入れてチームを増やしていきたいと考えています。
なるほど。人を入れるとなると、前回のお話でも出た造園と外構の違い、求められる能力の差の問題も出てきますね。
そこはどうしてもありますね。中には両方の才能がある子もいますけど。
でもそういう才能のある人だけを選んで育てようと思っても、まず見つけるのが大変ですよね。
ええ、なので外構工事は下請けさんに協力いただきながら、石積みや植栽など造園の方をこれから作るチームで回していこうかなと。
ああ、なるほど。社員さんたちは造園をメインでやって、外構は下請けに依頼するわけですね。でもなんとなく、中島さんと下請けってイメージが繋がらないんですが。
外注と言っても、外構の部分も私が高さや場所などを細かく指示します。そういう意味では、あくまで「作業を手伝ってもらう」だけですね。
やっぱりそうですよね。ところで中島さんの施工事例の中に、門柱に一輪挿しを付けているものがありますよね
。門柱ってどちらかというと外構の範疇なわけで、そこに一輪挿しを付ける感覚ってすごいなぁと思ったんです。あれはお客様からオーダーがあったんですか?
いえ、私自身が付けた方がいいなと思ってご提案しましたね。
ああ、やっぱり。ちなみになんで門柱に一輪挿しを付けようと思ったんですか?
門柱が石の1枚もので、シンプルですごく素敵なんですけれど、ここにワンポイント加えて季節感を出せたら尚いいなと。
ああ、門柱に季節感を出そうとしたわけですね。
そうなんです。ちょうど素敵な一輪挿しや水鉢を作っている陶芸家さんがいて。せっかくなら使わせてもらいたいなと。
その一輪挿しを見て「あそこの門柱に付けたらすごくいいんじゃないか」とひらめいたわけですね。とはいえ、実際に門柱に一輪挿しが作られてしまうと、「毎日何か飾らないといけない」ってプレッシャーも感じてしまいそうですけど(笑)。
無理に生花でなくても(笑)。ドライフラワーのようなものでも全然いいんじゃないかと思います。
確かにそれでも十分雰囲気は出そうですね。他にも陶器をお庭に使うことはあるんですか?
ありますね。陶器の手水鉢とか。あと、お風呂から見える照明を陶器で作ったこともありました。
へぇ。それは電気で光らせるんですか。
そうです。ろうそくの光のようにゆらゆらと光るライトがあるので、それを中に入れて。
さすがにそこは本物のろうそくじゃないわけですね。石灯籠はよく見ますけど、陶器灯籠って珍しいですよね。
仰るとおり石が一般的なんですけど、私自身が陶器好きなのもあって。地域的にも焼き物が有名ですし。
確かに、美濃の焼き物は有名ですよね。有名な窯が4つか5つあって。
ええ。一輪挿しの陶芸家さんも、すごく独特で繊細ないい焼き物を作るんですよ。
なるほどなぁ。でも陶器が全くの自然のものかと言われると、そうではないですよね。それでも自然石に馴染むものですか?
確かに陶器自体は人工物ではあるんですけど、その陶芸家さんの作品はすごく自然を感じるんですよね。例えば先ほどの一輪挿しも、ただまっすぐなだけじゃなく下の方が湾曲していたり。
へぇ。意図的に、自然な雰囲気のデザインを作っていると。
ええ。そのデザイン性がすごく好きで、どうにかお庭に取り入れられないかなと。
ということは、「陶器」というよりも、「その方が作る焼き物」に惹かれたと。そういう意味では今後、「これは庭に使えるんじゃないか」というものが出てくるかもしれませんね。陶器とは別の何かが。
ああ、確かに。そう考えると楽しみですね。
それにしても、一輪挿しを門に付けるという発想は面白いですよね。なんだか造園というよりは華道の先生のような……(笑)。
笑。僕はそういう勉強はしたことがありません。でも今思えば、京都の造園会社にいた頃にお茶やお華を習っておけばよかったかな(笑)。
お弟子さんが育ってもう少し時間ができたら、ぜひ習ってほしいですね(笑)。
対談している二人
中島 秀章(なかしま ひであき)
direct nagomi 株式会社 代表取締役
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高校卒業後、庭師を目指し庭の歴史の深い京都(株)植芳造園に入社(1996年)。3年後茨城支店へ転勤。2002・2003年、「茨城社長TVチャンピオン」にガーデニング王2連覇のアシスタントとして出場。2003年会社下請けとして独立。2011年に岐阜に戻り2022年direct nagomi(株)設立。現在に至る。