泉一也の『日本人の取扱説明書』第32回「曖昧味の国」

紐解く前に、今の状態を確認しておこう。企業では「会社が給料を払うからこの責任をあなたが果たしてね(義務)」と「私がこの仕事したからこれだけの給与を会社からもらう権利があるよ(権利)」という関係性で成り立ち、社会は「私が税金を社会にはらわなければならない(義務)」と「私が公的・福祉サービスを社会から受けられる(権利)」という関係性で成り立っている。あまりにもこの「誰が」を明確にした義務と権利の責任社会がスタンダードなので、疑問を持たないだろう。

疑問はないが、違和感はないだろうか。「私があなたにお茶をいれました」という表現のように。この違和感は、言葉で説明しにくい。なぜならご恩と奉公というのは契約書として文字にできる契約関係にあらず、関係性の積み重ねの中で生まれた、相手に尽くしたいという「想い」が主体となっているからだ。想いほど曖昧なものはない。想いは見える形で確認もできなければ、時に急変してなくなってもしまう。責任社会の人たちはこう考える。相手に尽くしたいなどといった「想い」を主体とした関係性で社会が築かれるはずがない。封建社会とは、権力者が権力にものをいわせて人民から搾取をして支配していたとしか見えないのだ。

江戸時代では武家社会でも商人社会でも契約書がほとんどなく、あっても覚書適度のものであった。それでうまく回っていたのだ。現代は、ものすごく細かい字で書かれた分厚い契約書類が氾濫している。読むだけでストレスである。さあここで選択である。「私があなたにお茶をいれました」に違和感をもったまま、しかたなくこの責任社会を生きていくのか、「お茶が入りました」といった曖昧味をいい味と感じるような社会(場)を作っていくのか。

最後に、責任社会では義務を果たしておれば、自由の権利があるので、自由に新しい社会(場)も作れるはずだと言っておこう。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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