第155回「共助の国(第6話)」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第155回「共助の国(第6話)」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

第5話のお話。共助(ともすけ)は、王の証となる剣「アメノムラクモ」を手にしたことで、亡霊軍団の助けを得、ジジョロンが派兵した大軍を撃破する。

―――――――――

一方、ジジョロンの本拠地に「本」を返しにいく子供達一行は、ジジョロンの支配する地にいた防衛軍に行く手を阻まれる。迂回ルートを探すが、見つからない。立ち往生しているその時、子供達の前に背格好が子供達に似た尻尾のある鼠色の妖怪が現れた。

「俺の名はジャオ。お前たち迂回ルート探してるんだろ。俺しってるんだけどね」。実はジャオは子供たちが持っている「本」を狙って近づいてきたのだ。『こいつ怪しい・・』子供達は疑心暗鬼になるが、藁をもすがりたい状況なので、渋々ジャオに道案内をしてもらうことにした。

ジャオは道すがら「俺は昔な・・、それに比べて若い奴らは・・」と自慢話ばかりをする。そして、なんでもめんどくさがる、人の話をすぐ遮る、いつもイライラしている、誰かが失敗したことを思い出しては嘲笑気味に話す、すぐに「難しい」や「どうせ」という、「俺が道案内できないとお前ら困るだろ」と恩着せがましく話す・・

子供達は一緒にいて不快になったが、道案内がいなくなると困るので、我慢してジャオの後を着いていった。そしてジジョロンの本拠地が見えてきたある日の夜明け、ジャオは寝ている子供の一人が大事に抱えていた「本」をすっと取り上げ、そっと立ち去ろうとした。

「ジャオ!」本が自分の腕の中からなくなったことにすぐ気づいた子供は叫んだ。その声に他の子供も目を覚まし、ジャオはあっという間に行く手を遮られた。「そこをどけ!子供ごときに何ができる!」と鬼の形相で怒鳴るジャオ。子供の一人が、すかさずカバンから「ヤタキョウ」を出してジャオに向けた。ヤタキョウとは子供の村に代々伝わる邪を払う聖なる鏡である。

「ジャオ、自分の姿を見ろ!」その鏡に映ったあまりにも醜い自分の姿にジャオは驚いて「本」を放り出した。その瞬間、ジャオは尻尾がとれ、姿形がみるみる子供に変わっていった。ジャオは妖怪になる前は、子供だったのだ。

ジャオも仲間に加わって、子供達は本拠地の目と鼻の先まで到達した。
物語も最終局面である。(第7話に続く)

――――――――――――――――――――――――

自助は我が中心。我の想い、我の権利、我の所有物・・自ら我を助けると神が助けてくれる。「Godは自ら助くるものを助く」だからだ。我が中心なので、会話も一人称の主語を明確にする。

逆に共助の世界の会話は一人称が消えてしまう。会話の中で「・・って思いました」という時に、I thinkでいう「I」は言わないように。

共助は鏡がシンボルになる。それはなぜか。では、鏡を覗きこんでみよう。中心に何が映っているか。それは自分である。「かがみ」という言葉の真ん中には「が(我)」がある。その我が消えると・・「かみ(神)」が残る。我を引き算すると神になるわけだ。

共助の世界では、「他人は自分を映す鏡」として他者との関係から学ぶ。他者の中に自分の我(が)を見つけ出す。そしてその我を引き算、つまり手放す。これを「共育」という。

一方、自助の世界では教える側と教えられる側がわかれ、教える側は完全な存在、教えられる側は未熟な存在とみなす。そして、未熟者を完全な人へと「教育」をする。我をしっかり持たせ、他者よりも優秀に、強く、賢く一生懸命教育したのに、いつしかジャオのような存在に・・。

これは余談だが、日本書紀に出てくる三種の神器は門外不出であるが、「八咫鏡」が宮中の外に祀られたことがある。それは第10代の祟神天皇の時代。世に疫病が流行って多くの人が亡くなり、反乱なども多発したことで、祟神天皇が天啓を受けて外に祀られたそうである。

著者の他の記事を見る

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

著者ページへ

 

感想・著者への質問はこちらから