泉一也の『日本人の取扱説明書』第130回「Let It Beの国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
「なすがままならキュウリはパパだ」と誰が言ったのか。
なすがまま、あるがままを自然(じねん)という。おのずからしかり。老子は無為自然といったが、作為を手放し「道(Tao)」にゆだねることで「道」が自然に生まれるという。浄土宗の開祖である法然さんは「他力本願」といい、ザ・ビートルズはLet It Beを謡った。
あるがままは、whisper words of wisdom。ささやきにある。そこにはあるべき論や主義主張はない。「人間は“あるがまま”であるべきなのです!」「“あるがまま”こそ真理なのだ!」に息苦しさを感じるように。
いい学校にいくべき、いい会社に入るべきといったべき論、争いはしてはならない、弱者を助けるのが正しいといった主義主張。これらは自力を高め、「べき仲間」との団結を促した。個人は一生懸命に働き、組織を作り、国をつくり、発展してきた。
発展と引き換えに、べき論と主義主張は分断を生み出した。相容れない「べき」と対立する主義主張。その分断は、疑い→憎しみ→争いにつながった。人間は永遠にこの輪の中を巡るのか。この輪の縛りから脱出したい。そう願って人間は学習をし、賢くなればなるほどべき論と主義主張をさらに強めてしまった。
対立や争いを起こさないためにと発明したのが民主主義である。主義主張をぶつけ合っても最後は全員の多数決で物事を決める。
しかしその民主主義も分断を生み出していることは、民主主義を世界に広める大国の大統領選を見れば一目瞭然。不完全な仕組みということだろう。
「賛成の反対なーのだ」と誰が言ったのか。
賛成でも分断を起こすのであれば、反対なのだ。本当に願っているものは主義主張が通ることではない。本願はどこにあるのか。本願とは何なのか。
願いとは叶った後にわかるものである。なぜならその時の自分は過去の自分と違うからである。生まれて初めて食べて、その食べ物が好きになるように、食べてみて初めてわかる。
本当の願いは、自分の中にある「べき論」や「主義主張」でないところにある。法然さん的にいうと他力の中に隠れている。
日本は、Let It Be的な言葉がたくさん文化に根付いている国であるが、強力な主義主張に上書きされ「他力本願であるべきでない」になった。個人を強くするための義務と権利。義務によってべき論的責任が、権利によって主義主張が生まれた。その土台の上に今がある。
では、どうなったらいいのか。どうあるべきなのか。何が正しのか・・
と考えていくと輪の中に逆戻りするので、一度止まって待ってみよう。そのうちに、新しい風が吹いてくるだろう。その風に乗ってみようか。
There will be an answer.
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。
1件のコメントがあります
こんにちは。
ちょうど。。ジャイアンと、なすがママならキュウリがパパだよ。。という話を最近してしていて、「きゅうり、シンクロ!!」って笑。
私自身も、ままに。。。