第178回「日本劣等改造論(10)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― 偶発という生活習慣(後編)―

前編では計画を鼻息荒くディスってみた。なぜなら、計画が主人公になると、計画性がない存在は「劣」になり、そこから劣等ウイルスが蔓延するからだ。

もう少ししつこくディスってみよう。人間以外で、手帳を片手に計画的に生きている動植物を見たことがあるだろうか。少なくとも私は見たことがない。彼らは自然の摂理に命を委ねて生きている。その視点でみると、人間社会だけが浮いているのがわかるだろう。だからパンデミックという計画にないことが起こると右往左往するのだ。想定外に弱いのが人間ともいえる。

国の計画も、会社の計画も、必ず右肩上がりにする。そして対前年比何%成長を、株価のアップを誇らしげに語る。こうした無限の成長を追い求めていった先にあるのは破滅だとしても。計画した目標を達成せねばと、身を粉に、心をすり減らす。その先に破滅があると薄々わかっていても。時々、国連などで子供が大人に厳しいフィードバックのスピーチをして、少しは目が覚めたりしているが。

ディスってばかりだと暗くなるので、可能性の方に目を向けよう。計画と対極にあるのは偶発。「計画を遂行せねば!」と眉間にシワを寄せるのではなく「偶発も大事ね!」と笑顔で言ってみる。このゆるさで言ってみると、偶発がそこら中にあることに氣づき始める。「素敵なことがたまたま連続して起こり始めますよ」なんていうと、

「そんな能天氣な・・」

そう、能天氣こそが偶発を味方につける極意。能天氣を極めた状態とは、睡眠である。寝ているときは全くの無防備。眉間にシワを寄せている怖そうな人も、寝顔は可愛くて、素直な印象をうける。弱肉強食の世界なのに、なぜ生物は無防備極まりなく寝るのか。命の危険以上に、寝ることが大切だから寝るのだが、なぜ寝るのかは科学的に未だ謎である。毎日寝ているのに、その理由や目的が未解明ってすごい。

「睡眠の目的は脳みそを休めるため」という定説があるが、脳みそがない生物も寝ていることがわかっている。だとすると一体寝ることの価値はどこにあるのか。

これはあくまでも仮説だが、能天氣こそが命の本質で、その本質状態に戻るために、つまり本質に触れて命のエネルギーをチャージするために睡眠するのではないか。寝ているときに細胞分裂が加速するらしいが、まさに命のエネルギーを得るからこそ、新しい細胞という命が生まれるのだろう。

寝ているときに見る夢は「偶発」が連続する。目が覚めると現実に引き戻されるのだが、これは逆で、夢こそが本質なのかもしれない。お釈迦様も寝ている姿の像がたくさんあるし、半眼といって半分寝ているような仏像も多い。偶発と悟りは近いのかもしれない。

「偶発」は能天氣という生活習慣から生まれる。計画に身も心も奪われているのなら、一度手放して能天氣に生活してみる。その時、発見した偶発を大切に育ててみる。その偶発が偶発を生み出す流れに身を委ねてみる。寝ているときに見る夢のように。

新しい命が誕生する如く、そこにゼロから1が生まれる瞬間があるかもしれない。

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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