第185回「日本劣等改造論(17)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― 幻想の領域展開(前編)―

現実的であることが「良し」とされる。現実的になることが大人になること。社会人である証。

「現実的」の正体を3つに分解すると、①自分の力量を知っている②想像でものを言わない③実際の難しさを知っている。

日本人の多くは現実的である。大人になり、社会人となって良かったのだろうか。そうは思えない。①自分の力量を知ったことで自分の限界を設け、②ビジョンも馬鹿なことも想像しなくなり、③実際の難しさを考えて氣が重くなる。大人が揃えた三拍子。

どんよりとした空氣がこの国を覆っているのは、「現実的」というウイルスが蔓延しているからだ。このウイルスに対抗する最大の免疫は「無邪氣」だろう。

無邪氣な子供をイメージしてみよう。①自分の力量を知らない②空想ばかりしている③やってから実際を学ぶ、といった真逆の特性を持つ。

昭和はこの無邪氣な子供(大人からしたらクソガキ)が街にウヨウヨ徘徊していたが、今は街なかで見なくなった。少子化で激減したのか、知らない場所、例えばゲームの世界に生息しているのか。塾なんかにいって、社会の現実を知り、立派な社会人になるために、日々自分の力量を測っているのだろうか。もしそうなら、子供をすっとばしてあっという間に大人になっているだろう。

小学生の頃、学校が終わった後に塾へ通う友達を見た。ランドセルではない手提げカバンを片手にスタスタ歩いていた。通勤する大人のようだった。大人っぽい友達を見てすごいなと思ったが、同時に氣持ち悪いとも思った。

学校でその友達に「なんで塾なんかいってんの?」と聞くと、「泉はええよな、塾いかんでも勉強できるんやから」と回答をしてきた。何も言い返せなかった。この「現実的」な回答をされて、何も言い返せない感じ。大人の皆さんは日々体験してないだろうか。

無邪氣さを持ったまま大人の世界にいるには鈍感さがいる。まともに現実的と向き合えばすぐに飲み込まれてしまう。鈍感さをフルに発揮しながら、無邪氣に遊びまくっていると、アナザーワールドがそこにでき始める。自分の匂いがするエリアが広がっていくのだが、そこはまるで幻想の世界。幻想の領域が、現実世界に生まれるのだ。

「幻想の領域展開」このキーワードにヒットした人は、未だ無邪氣が消えずに残っていて、展開する時をじっと待っている。しかし周りは大人ばっかりで見つからないから、漫画やアニメといったファンタジーな2次元に避難する。そこで幻想力を温めているのだが、発揮する場がないからウズウズしている。

実際に漫画を書いてみたり、コスプレして撮影会をしたり、仲間を探しに行ったりと行動に打って出てみると、現実世界に幻想領域が展開されていくのを体験する。

後編までにレッスンをしておこう。幻想の世界は①自分の伸びしろにワクワクする②自由に空想してニヤニヤする③やってみてから考える。この3つを意識してみよう。現実的な大人は、そんなあなたを見ると怖がるはず。リスキーな人、クレイジーな人にしか見えない。そんな怖がっている大人をたくさん見たいので、幻想塾を立ち上げてみよう。

幻想塾には現実的ウイルスが紛れこまないための入塾テストがあります。手ぶらでフラフラ歩きながら、ぼーっとしてはふとニヤニヤし、急にスキップしながら塾の辺りまで来てもらえれば。即合格です。

 

著者の他の記事を見る

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

著者ページへ

 

感想・著者への質問はこちらから