文章を書く仕事をしていると、
なぜか、ピタリと筆が止まるときがある。
先が見えない、何も思いつかない、まったく進まない。
そこは思考の行き止まり。
つまり、出口のない袋小路に入り込んでしまった状態なのだ。
経験上、この袋小路を抜け出す方法はひとつしかない。
それは、これまでに書き上げた文章を、
一文字残らず消去してしまうことである。
だがその決断には勇気がいる。
何時間も苦闘して、やっと書き上げてきた文章なのだ。
消去してしまうと、
これまでかけた時間が全てムダになってしまう。
当然のことながら、もがき苦しむ。
何とか今の文章を手直しし、
その文章を完成させる方向に答えを見出そうとする。
だがその努力は、ムダの積み重ねに過ぎない。
最終的には書き直すことになるのだ。
崩れた土台の上に家を建てることが出来ないように、
間違った文章の先に正しい文章を付け加えることも
不可能なのである。
人生とは、長い小説のようなものだ。
先が見えない。前に進めない。
どうしたらいいのか分からない。
そのような袋小路に迷い込んだ時、
問題は必ず過去の文章の中にある。
どこかの時点で、間違った方向に書き進めてしまったのだ。
正しい文章に戻すためには、間違った箇所まで戻るしかない。
これまで書いてきた文章、
すなわちやってきた経験を、ゼロリセットするのである。
人生という小説には、いくつかの章立てがある。
今、書き進めている章を、思い切ってばっさりと削除するのだ。
その始まりは、三年前かもしれない。
あるいは五年前、十年前かもしれない。
気が遠くなるような話だが、
それより他には方法がないのである。
道を間違えたと気がついた時には、
間違えた地点まで戻るしかない。
中途半端に戻っても、また別の間違った道に入り込むだけだ。
最初に間違えたその地点まで、思い切って人生を巻き戻すのだ。
今いる場所は、自分がめざしていた場所ではない。
そう感じる時が、人生には何度かある。
だが多くの人は、その違和感を素通りしてしまう。
人生にやり直しはきかない。
今の人生を受け入れるしかない。
一見前向きに見える自己肯定。
だがそれは、自分自身の可能性を否定しているのと同じことだ。
今の自分を肯定することは、
今とは違う自分を否定することでもあるからだ。
今とは違う自分になりたいのなら、
今の自分を捨て去るしかない。
なりたい自分。めざしていた自分。理想の自分。
それをもう一度めざすのか、
あるいは今の自分のままで生きていくのか、
決めるのは自分自身だ。
人生をやり直したいと嘆く人の多くは、
実は簡単に人生をやり直せるのである。
ただ、自らそうしなかっただけ。
何度生まれ変わっても、やり直さない人はやり直さないし、
生まれ変わらずとも、やり直す人は何度でもやり直す。
そもそも人生とは、やり直しの連続なのだ。
やり直すことが人生の本質であると言ってもいい。
やり直すのをやめた時、人は生きることをやめ、
死なないことが目的になってしまうのである。
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