人は報酬を得ることを目的として働く。
会社は利益を最大化することを目的として活動する。
どちらもその目的はお金である。
いや、そんなことはない。
私はやりがいのために働いている。
我が社は社会のために存在している。
そう主張する人もいるに違いない。
もちろん、そういう人も、
そういう会社もゼロではない。
だが社会全体として見たときに、
労働の目的が報酬であり、
経営の目的が利益であることに
異論を唱える人はいないだろう。
私たちはお金を目的とした経済活動の中に
完全に取り込まれているのである。
もちろん、現実問題として、
報酬のない仕事では生活することができないし、
利益のない会社では存続することができない。
だから「手段として」お金は必要不可欠である。
仕事で報酬を得ること。
会社として利益を出すこと。
これを否定しても仕方がない。
どんなに愛情深い人間でも、
霞を食って生きていくことはできないからだ。
生きていくためには他者を食う必要があり、
金を稼ぐ必要があるのだ。
ではいったい、何が問題なのか。
それはお金が手段であることを
忘れてしまっていることだ。
人は食わなければ生きていけない。
だがそれは生きることが目的だということではない。
食うことも、稼ぐことも、手段でしかない。
死なないための手段ではなく、
人生を楽しむための手段なのである。
人生を楽しむために金は存在し、
人生を楽しむために会社は存在する。
私は決して綺麗事を言いたいわけではない。
むしろ、警笛を鳴らしているのである。
楽しむことを忘れると、
これから先の社会には適応できなくなる。
そう言いたいのである。
稼いだ金で美味しいものを食べて、人生を楽しむ。
稼いだ利益でオフィスを快適にして、人生を楽しむ。
もし、楽しむことが目的であれば、
全ての報酬をお金でもらう必要がなくなる。
働いた見返りに、美味しいものをご馳走になる。
役務を提供した代わりに、オフィスを快適にしてもらう。
楽しむことが目的であれば、
お金を省いた物々交換が成立する。
原始時代に戻ろうという話をしているのではない。
お金と決別することによって、より豊かな人生、
より豊かな会社が実現するという話である。
お金を中心に据える人や会社からは、
どんどん人が離れていき、
報酬も利益も離れていく。
楽しさを中心に据える人や会社には、
どんどん人が集まり、
結果的に儲かっていくのである。
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2件のコメントがあります
働いた見返りに、美味しいものをご馳走になる。また、その逆も然りである。こんな状況になりたいと思いました。
本来の仕事の姿ですよね