はんこ、おはか、しごと。
3つのキーワードを見ただけで
ピンと来る人はかなり鋭い。
そう、これは価値転換を
余儀なくされるものたちである。
まず最初にハンコが不要となる。
そもそもハンコとはサインを簡略化したものである。
そして本人であることの証明でもある。
つまり自署の横に押す三文判(認印)には
その意味がないということだ。
サインをしてさらに印を押すとしたら
目的は本人証明しかない。
だが三文判にそんな効力はない。
これは何も今に始まったことではない。
書類に押す三文判など元から不要だったのである。
不要なものは消えていく。
当然の帰結なのだ。
既得権益を守るために
これほどの無駄を続けてきたこと自体が驚きだ。
ではハンコという商品はこの世から消え去るのか。
ハンコは文化だ。ハンコを守れ。
そんなことを声高に訴えたところで、
書類の三文判は排除されていく。
いや、排除されなくてはならない。
守りたいのであれば自らその方法を考えるしかない。
必要という価値を欲しいという価値に転換するのだ。
不要なものは人に強要すべきではない。
だがそれは売れないということを
意味しているのではない。
じっさい人間は不要なものを買う生き物なのだ。
“必要だから仕方なく買う”というハンコは消える。
残るのは“必要ないが欲しい”というハンコである。
お墓もいずれ同じ運命を辿ることになるだろう。
こちらは法律ではなく慣習によって
半ば強制してきたものだ。
お墓は建てるべきという慣習。
ここにも限界が来ていることを
業界人は認めたほうがいい。
売るべきは“仕方なく建てる墓”ではなく
“思わず建てたくなる墓”だ。
では仕事はどうだろう。
いくら何でも仕事は不要にならないだろうと
多くの人は信じている。
ハンコやお墓に対してそう信じてきたように。
現代の常識において仕事の目的はお金を稼ぐことである。
では仮にBI(ベーシックインカム)が
実現したらどうなるのか。
好きなことで稼げるようにったらどうなるのか。
必要だから仕方なく働くという人はいなくなってしまう。
そんなことはあり得ない?いやあり得る。
賢明な経営者はそう考えるべきだ。
“報酬のために仕方なくやる”仕事ではなく、
必要ないけれども“やりたいからやる”仕事。
この価値転換を本気で考えなくてはならない。
報酬を受け取るのなら
嫌なことでも我慢するのは当たり前。
その常識は三文判を強要してきた
お役所仕事と何ら変わらない。
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