やって良いことと悪いこと。
小さい子供にはこの境目がよく分からない。
だからおもちゃを投げたりするし、
人の顔を叩いたりもする。
何をよしとして何を悪いとするのか。
親はこれを教えなくてはならない。
だがその定義は人によって違う。
たとえば他の子のおもちゃを欲しがる行為はどうか。
ダメだという親もいれば、
その程度はありだろうという親もいる。
知らない人に話しかけるのはどうだろう。
迷惑行為だと考える親もいれば、
愛想がいいこと褒める親もいるだろう。
社会的常識は人によって違うのだ。
反対に、かなりの割合で一致するものもある。
たとえば子供の命に関わる行為。
道路に飛び出す子供や、
高いところから飛び降りる子供。
これを怒らない親はまずいないだろう。
子供には多くの危険が付きまとっている。
親がずっと監視しておくわけにもいかない。
だが大丈夫、子供はそう簡単には死なない。
自ら危険を避けるようになるからだ。
大人はそれを知識でコントロールしようとする。
これは危険だからやってはいけないと教える。
神さまはそんな面倒なことはしない。
やってはいけないことに
ただ不愉快な感情を与えるだけだ。
たとえば熱いものに触ると子供は
手を引っ込める。それはなぜか。
手が焼け焦げてしまうからではない。
不快だから引っ込めるのである。
もし手が焼ける行為が大きな快感をもたらすとしたら、
子供は自らの手を焼き続けるだろう。
反対もまた然りである。
親は勉強することの素晴らしさを子供に教えるが、
神さまはそんなことはしない。
子供が好奇心を満たそうとするのは
単にそれが気持ちいいからである。
常識ある大人は知識もって自らをコントロールする。
嫌な客にも愛想笑いするし
ストレスが溜まる仕事も我慢する。
その結果もたらされるのは快感ではなく不快感だ。
罰として胃に穴が空いたり精神に異常を来したりする。
神の意志に反いたからである。
人はそろそろ学ばなくてはならない。
知識に頼りすぎるのではなく感情を頼りにすることを。
頭で考える気持ちよさではなく
心が求める気持ちよさを追求する。
頭で考える罪悪感ではなく
心が拒絶する嫌悪感を排除する。
健康も、幸せも、快適な人生も、
感情に従えば必ず手に入る。
ビジネスもまた然りだ。
顧客も社員も損得だけで動いているのではない。
人を動かす根本は思考ではなく感情なのだ。
頭だけで考えるビジネスに未来はない。
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