買える商品の境目

ないものは買えない。
当たり前のことである。
顧客に買ってもらうには商品がなくてはならない。
では店に並べれば商品は存在するのか。
物理的には存在しているが
顧客にとっては存在していないかもしれない。

たとえば家の近所に
とても珍しい植物が生えていたとしよう。
それが、どんなに希少な植物でも、
興味がない人にとっては単なる雑草である。
いや、雑草という認識すらないだろう。

つまりその人にとって
その植物は存在していないのである。
もし、その珍しい植物が誰にも発見されず、
誰にも注目されなければ、
人類にとってそれはなかったことになる。

実際この地球上には
未発見の植物や昆虫がたくさんいる。
まだ図鑑に載っていないそれらは
生物として存在していないのである。

いやいや存在はしているだろう。
おっしゃる通り。
存在はしているはずだ。
だが人にはその存在が認知できない。
つまり存在していないのと同じなのである。

アメリカ人は存在しているが
宇宙人は存在してない。
これと同じ理屈である。
バカバカしい話に聞こえるかもしれないが、
商売をする上でこれほど重要なことはない。

アメリカ人とは商品を売買ができるが
宇宙人とはできない。
なぜなら宇宙人は存在が見えないからである。
いるかどうかが重要なのではない。
認知できるかどうか。
それが全てなのである。

新たな商品、新たな価値を生み出すことは、
企業が生き残っていく必要条件である。
では生み出すとはどのような行為なのか。
その商品はいつ生まれたと定義できるのだろうか。

ないものを作る。
即ちなかったものを存在させる。
それが商品開発である。
ではどこに存在させればいいのか。
多くの人はここで間違える。
店に並べてあればそれは存在していると
思い込んでいるのだ。

人通りの多い道なのに誰も店に入ってこない。
それは通行人にとって
その店が存在していないからである。
売るためには顧客の頭の中に
商品を存在させなくてはならない。

もし、近所の雑草自生地域が
自然遺産に認定されたとしよう。
世界中からそれを見に人々が訪れる。
するとそこになかったはずのものが
明確に存在し始める。

もちろん突然そこに現れたわけではない。
元からそこにあったのだ。
現れたのは自分の頭の中である。
どの陳列棚に商品を並べるべきか
もうお分かりだろう。
並べるべき陳列棚は顧客の頭の中にある。
そこにない商品は買いようがないのである。

 

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