私はスピリチュアルという言葉が好きではない。
あまりにも先入観の多い言葉だからである。
では否定派ですか?と聞かれるのでお答えしたい。
私はスピリチュアルな現象や
体験談や思想が嫌いではない。
とても興味深い話として心惹かれる。
だがこういう話をすると必ずこう言われる。
「ああ、そっち側ですか」
「何か特定の宗教とか信じてるんですか」
「魂や死後の世界を信じてるんですか」という具合に。
信じているか信じていないか。
その境目がスピリチュアルという言葉なのである。
あなたはスピリチュアルを信じていますか。
はいと答えればあっち側。
いいえと答えればこちら側。
その単純な切り分けが嫌なのである。
まるで現実を全てわかっているかのような
決めつけ方ではないか。
死後の世界があるのかどうか。
そんなものは死んでみないと分からない。
「ある」と答えることと「ない」と答えることは
同等に単なる思考停止である。
お前はどちらなのだと言われそうなので答えておこう。
私は死後の世界がある方が自然だと考えている。
何もないゼロ(無)の状態からいきなり命(有)が
生まれ死んだ瞬間にまたゼロ(無)になる。
それがあまりにも不自然だからである。
そもそも命とは何なのか。
それすら分からない状態で
死後の世界があるか無いなど決めようがない。
「常識的に考えればたぶんあるんだろうね」
というのが私の結論である。
だが「ある」と言った瞬間に相手の反応は2分する。
「ああ、そっち側ですか」
「私もスピリチュアル派です」
のどちらかなのである。
私はどちらでもない。
なぜなら分からないからである。
量子力学において確認できる最も小さな単位である
素粒子は「ある・ない」の境目に位置しているそうだ。
ある瞬間には存在し次の瞬間になくなったりする。
つまりすべての物質は「あるかないか分からないもの」
によって出来ているのである。
私には意味がわからない。
宇宙にしたところで意味などわからない。
人間が行けるのはせいぜい月まで。
地球が家のリビングだとしたら
縁側にすら出ていない状態だ。
これで世界を分かった気になるなどお笑い種である。
人間が理解できている現実など0.0001%にも満たない。
99.999%の現実は分からないのである。
分からないものは分からないでいいし、
興味があるのなら調べればいい。
「怪しい。以上」「正しい。以上」
その切り分けと思考停止が我慢ならないのである。
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1件のコメントがあります
物事や事象に白と黒を付けたがる人がいる、分らないことを区分けしたがるのが人の習性かと感じました。