それから私も大人になっていき、お金もそこそこ入るようになったのに、比例して自分なりの尺度はどんどんあいまいになってしまった。いろんな煩悩にとらわれてしまい、父になったことや仕事を言い訳に稼ぎのことばっかり気にしたり、足元の大事なことを見失ってしまったり、身近な大事な人を粗末にしたり。
自分なりの尺度を失くしてしまった理由は、誰かと比べて自分に自分以上を求めたり、自分がいま持っているものの評価をなおざりにしてしまったからでした。
未来志向!というやつで、自分のこれからの人生や経済を築くことばっかり。ダサいなあ。
これまでの人生の細部に目を凝らし、これまで自分を取り巻いてきたもの、今取り巻いているものに思慮が及ばずして、人生なんて築けるはずもないのにさあ。
「本当に不幸なのは、できることを未完のまま放り出し、理解もしていないことをやり始めてしまう人々だ。彼らがやがて嘆くのも無理はない」と、知の巨人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは言っています。
私が尊敬するゲゲゲの鬼太郎の水木しげる氏も、ゲーテをこよなく愛しました。
「できることを未完のまま放り出し、理解もしていないことをやり始めてしまう人々」というのは、だいたい自分を誰かと比べてしまっている人であり、過去の自分、今の自分をなおざりにしてしまっている人のこと。私ですな。
今も私は、自分を誰かとつい比べてしまうことがあります。比べずに生きることは、やはり難しい。
でもなんとか自分の尺度を失くすことなく、ようやく少しは自分の尺度を再確認するために比べられるようになった気がする(気のせいじゃねえかあ)。
「毎日を生きよ。あなたの人生が始まった時のように」とゲーテは言います。父母のもと小さな町に生まれたことも、そして一人暮らしを始めた18も、一つの始まりだったと思います。
貧しくなんてなりたくないけど、カローラハッチバックの窓から吹きつける風の、あの幸福感はわすれがたいなあ(だからお前のクルマじゃないってば!)。
誰かと比べた相対的な幸福ではなく、あれは私だけの絶対的な幸福だった(ずうずうしいぞ)。あんな気分を、たくさん味わって生きていけたらいいなあ(勝手にしろよオイ)。
しかし、何が言いたいのか。中学生の作文のようなものを書いてしまった。今年もあけまして、すみません。