
今回は私が気になってることをテーマとして取り上げてくださるということで、私から質問というか、モヤモヤしてることを言わせていただきますけど(笑)。贈与とかギブについて、私たち「GIVEの実験室」というコミュニティをやっておりますけれども、そうじゃないコミュニティで「世界は贈与でできている」みたいな本が流行ってたりとかして、私は残念ながら読んでないんですけれども、贈与みたいな考え方を結構みんながしてるんですね。「これがギブだから」みたいな感じで言ってるんですけど、「私は仕事を、見積りをとって、ちゃんともらわないと」みたいな感じで話をすると、「とっちーはギブしないほうの側の人だ」みたいな感じでなんとなく見られてる気がしていて、ちょっとモヤモヤしてて、その境目みたいなものってどこなのかなとか、このポッドキャストでも何度も話してるかもしれないんですけど、なんとなく、質問としてうまく言えないんですけど、モヤモヤしてるところがございます。

でも、その本に書かれてる贈与の定義がまずわからないんですけども、結構ギブはできる限りしてるつもりなんですけど、とはいえ、ちゃんともらうとこはもらわないと、余裕がなくてギブできなくなっちゃうので、そこをちゃんとやりたいなと思ってる感じです。

たとえば、おいしいご飯をお店で食べさせてもらって、お代を払うと「それは贈与じゃないのか」って言われると、僕はすごいその人が一生懸命おいしいものをつくってくれて、ありがたいなと思いますし。で、お礼言うのとお金払うのと、あんま変わらないっていうか、どっちもあってもいいんじゃないのって思いますけどね。つくるにはやっぱり材料代もいるし、その人も生活していかないといけないから、「いただいてありがとう」って思うけど、だけどちゃんとお金も払うっていう、それでも贈与は成り立ってるんじゃないかと思いますけど。

相手の人が、なんていうんでしょう…贈与をものすごい狭く捉えてる気がしますけどね、ギブ&テイクというものを。「金もらったらギブ&テイクじゃない」みたいな。「じゃあ物でもらえばいいのか」とか「言葉だったらいいのか」とかってことになるわけで、相手のことを一生懸命考えて何かやってあげたら、それは贈与なんじゃないかと思いますけど。

僕は、だから、たとえば子育てとか、子どもからお金をもらわないけど仕事だし、何か人の悩みを聞いてあげるとか愚痴を聞いてあげて、そのかわり自分も今度は愚痴を聞いてもらうっていうときに、愚痴を聞いてあげたときにお金をもらって、今度は自分が聞いてもらうときにお金を渡すと、それも等価交換だけど、べつにお金が介在しなくたって一緒じゃないですか。

(笑)。私が過剰にそう思っちゃっただけかもしれないけどね。まあそうね、たしかに。私、特にギブとか贈与で思うのって、自分が主体的にやるのはいいんですけれども、「あなたはギブが足りない」とか「あなたはギブすべきだ」みたいなことを、人が言うものではないんだろうなとは思ってるんです。

そうですよね。自分がやるからこそ意味があるっていうか、「この世界はギブが足りない!」みたいに言って、いろんな人にギブさせようとするみたいなのって、なんか、間違ってるとまでは言わないですけど、違うな、みたいな気持ちなんですよね。すごいモヤります、それも。

まあ、そういう世界になるとすてきだなあとは思いますけどね。自分のことがいちばん大事なんだけど、とはいえ100:0じゃなくて、ちょっとは人のことも考えようとか、家族も大事だけど、他の人のこともちょっとぐらいは考えようっていう、その「ちょびっと」で世界はつながっているんで。

あげるのとか、おごってあげるとか、教えてあげるとか、何かやってあげるのが大好きっていう人もいるし。やってもらうのも気持ちいいけど、やってあげるほうがもっと気持ちよかったりするんで、結局、人間は自分が気持ちいいことをやってるんだと思いますけどね。より快適だからやるだけであって。
*本ぺージは、2021年3月31日、ポッドキャスト「安田佳生のゲリラマーケティング」において配信された内容です。音声はこちらから
*Spotify、Google Podcasts、Apple Podcast、iTunes、Amazon Musicでも配信中!
ポッドキャスト番組「安田佳生のゲリラマーケティング」は毎週水曜日配信中。