センサーを狂わせるもの

好きや得意が見つからない。
現代社会にはそういう人が多い。
好き、得意、などというものの前に、
やるべきことが決められているからだろう。

学校でやるべきことは決まっている。
国語、算数、理科、社会。
音楽、美術、体育。
中でも評価が高いのは英語を含めた
主要5科目の成績である。

どの教科が好きか。どの科目が得意か。
その質問にはすでに制限があるということ。
怪獣や、お笑いや、砂遊びが得意でも、
それらが評価されることはない。

社会人になっても同じである。
簿記の資格を持っているとか。
営業がすごく得意だとか。
何のことはない、評価の基準が
テストの点数からお金に変わっただけ。

その資格はお金になるのか。
そのスキルはお金になるのか。
お金が大人の主要科目なのだ。

好きや得意が見つからない最大の要因がここにある。
用意した5人の中から好きな人を選べと言われても、
それはなかなか難しい。

そこに好きな人がいればラッキーである。
好きな人がいなければ、
なんとか好きになる工夫をしなくてはならない。

英語が苦手なのは、
まだ本当の面白さがわかっていないからだ。
そう言われて育った子供が、
苦手な営業を克服しようともがき続ける。

根本がズレているのである。
好きや得意とはそもそもそういうものではない。
それは人を好きになる順番を考えればわかる。
人はどうやって人を好きになるのか。

始まりは嫌いや苦手の排除である。
この人は嫌い。この人は苦手。
自分が求めていないものをより分けるセンサー。
それが人間には備わっている。

センサーに従って行動していると、
次のステップが見えてくる。
この人のことは嫌いじゃない。
この人といるのは苦痛じゃない。

嫌いじゃない、苦痛じゃないから、
一緒にいる時間が増える。
気がつけば好きになっている。
これが正しい順番なのである。

人生はやってきたことの積み重ねだと言われるが、
実はやらなかったことの積み重ねでもある。
嫌いや苦手をきちんと避けていけば、
嫌いじゃないもの、苦手ではないものに
たどり着いていく。

好きや得意のタネはその先に眠っているのだ。
運動は苦手。暗記は大嫌い。
そのセンサーは正しい。
センサーに従って進んでいけば、
人は必ず好きや得意にたどり着く。
そのようにできているのである。

現代人から好きや得意を奪っているもの。
その正体は我慢である。
我慢とは自らのセンサーを狂わせる行為に他ならない。

 

 

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3件のコメントがあります

  1. 今日のコラムの 「現代人から好きや得意を奪っているもの。その正体は我慢である。我慢とは自らのセンサーを狂わせる行為に他ならない。」ですが、同意見です。就職活動中の子供に伝達します。

    また、メール配信の
    「50を過ぎたら更にひどくなりました。人を雇うことをやめ、午前中に家を出ることをやめ、17時以降に仕事することをやめ、気が合わない人との仕事をやめました。もうワガママし放題です。でも意外とうまくいってます。やるべきことをリストにしよう!なんて言う人もいますけど、私の意見は真逆です。」という状態に近い自分があります。

    今まで我慢に我慢をし33年間勤めた会社(ある意味よい会社でしたが)を昨年3月に退職し、現在の「自由、幸せ、(家族を含む好きな人だけへの他者)貢献」の可能性を発揮している状況を自己肯定しました。

    いつもハッとさせられるブログ、ありがとうございます。

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