
安田さんはモウセンゴケとかバカラのグラスっていうのを、どういったタイミングで愛でるのかなあということを、ふつふつと質問がわいてきまして。そもそも、そういったモウセンゴケとかバカラのグラスっていう趣味自体が少数派の趣味だと思うんですけど、それをよいと思える柔らかい脳みそを持っているからなのかなあ、と私は思っていて。で、私もそういった、人とは少し違ったすてきな趣味を持ちたいと思っているんですけど、どういった心持ちでいることがいいのかとか、あとはどういったところで、どうすれば出会えるのかなあというのが気になっています。

なんでしょうね、趣味って努力して見つけるもんじゃない気もするんですけど、僕の場合は単純に化石に近くて、三葉虫の化石とかアンモナイトの化石とか、「何億年か前にこれが生きてたんだ」っていうロマンみたいなのを感じながら見るっていうのが好きで、だから、バカラのグラスも100年ぐらい前のアンティークが好きなんですね。

100年前からいろんな人が使って、誰か1回でも洗うのに失敗したらここに存在しないわけじゃないですか、ガラスなんで。それを自分が割ってしまったときの「100年間誰も割らなかったのに、ついに俺で終わってしまった」みたいなのとかが、なんともいえない哀愁があって、いいわけですよね。

つまり、「もうちょいだけ欲しいな」っていう、たとえばグラスでも「あと1個欲しいよな」とか「モウセンゴケ、あとひとつ育てたいよな」ぐらいが、たぶんいちばんいいんじゃないのかな。こないだ大河ドラマ見てたら「及ばざるは過ぎたるよりよし」みたいなことを言ってましたけど、やっぱ、だから、ちょっと多いよりは、ちょっと足らないほうがはるかにすばらしいってことで。

人間ってやっぱり満足をちょびっと超えるぐらい、つまり「この家ぐらいの広さがあったらいいな」っていうように、「ちょっと余裕があったらすてきだな」って思いがちなんですけど、家の広さも「もうちょっとだけ広けりゃいいのにな」とかっていうのが、もしかしたらベストなんじゃないのかなっていう。ちょっと足らないことが人間の幸福にものすごい結びついてるんじゃないかという気がしまして。

冷静に考えたら何事も、ほんとにお金もね、余るほどあってもいいんですけど、「もうちょっとだけ稼げたらいいのにな」ぐらいが、いちばん幸せなんじゃないかなって気がして。お酒とかも、「もう1杯飲みたい」ぐらいでやめとくのがよかったりとか。

1個1個そろえていって、たしかに完成するのもいいんだけど、本当に1個のところだけ空いてる状態っていうのが、この女々しさというかですね、この渇望感というか、「これさえあれば、これが完璧になる」っていう、そのときがいちばん幸せっつーか。

買わないのか、あるいはお金がなくて買えないのか、出会いがないのか。だから、よく「幸せの青い鳥」みたいに言いますけど、そこを通過して事足りるところに至るんでしょうけど、実はちょっと欠けている、「収入がもうちょい欲しい」とか、たぶん、だから、付き合ってても、「あと彼女がここさえあればなあ」みたいな、ね。
*本ぺージは、2021年8月25日、ポッドキャスト「安田佳生のゲリラマーケティング」において配信された内容です。音声はこちらから
*Spotify、Google Podcasts、Apple Podcast、iTunes、Amazon Musicでも配信中!
ポッドキャスト番組「安田佳生のゲリラマーケティング」は毎週水曜日配信中。