その91 人が時間的、精神的な余裕を得るとどうなるのか?

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人が時間的、精神的な余裕を得るとどうなるのか?

最近引っ越したマンションに息子の友人も住んでいるようなんです。
息子はその友人のお宅を訪ねて、迎えに行って、自分の(僕の)家に連れてきて遊んでいるんです。
ちょっと奇妙ですよね?
どうも、その子が他所の家に遊びに行くときには、相手の子供が「呼びに行く(迎えに行く)」というのが、その子のお母さんが決めたルールらしいんです。
もしかすると、「相手の親の許可を取らずに、自分の子供が勝手に遊びに行っている可能性もある」とでも考えているのでしょうか?
アポなしで勝手に遊びに行って、友人宅の前で「◯◯くーん!」と大声で叫んで、呼び出してた昭和生まれの僕には全く理解できない感覚ですけども(汗)

息子、その友達と遊ぶのが楽しみで、遊ぶ約束をした前日からウキウキだったりするんです。
ところが、当日、誘いに行くと、お母さんに断られるんです。
それも、3回行って、2回くらいの割合で・・・
その度、肩を落として、しょんぼり帰ってくるんですよね。
ちなみに息子は、力道山みたいな身体してるんで、しょんぼりしてても同学年の子供より遥かに分厚く、堂々たる体躯なんですが・・・(柔道教室の先生にスカウトされるような子供です)

それで、僕、「なんかおかしくない!?」ってギモンに思うわけです。
「家に来て遊んで良いよ」という許可が出されている証拠を確認したいから、うちの息子を迎えによこせって言ってるくせに、行ったら行ったで、断られるわけですから。
しょんぼりする力道山を見るのも、可愛そうなもんですよ。
まぁ、力道山体型で父親がピンク髪の子供とは友だちになってほしくないってことなのかもしれませんけど・・・
だったらそう言ってちょうだい(涙)

「相手の親の許可を取らずに、自分の子供が勝手に遊びに行っている」ことの何がいけないんでしょうかね?
子供同士が学校終わってから遊ぼうって約束なんて、親は関係ないですから。
「相手の親がどう思うか?」って、ものすごく気にして生きてるんだなぁ…って感じることがよくあります。(僕には皆無の感情ですが)
でも、そこに子どもたちが巻き込まれてるわけだから、変な話ですよね。

一方で、親にもそういうことを考える余裕が出てきているのかなぁ、とも感じます。
僕の実家は自営業で、両親、祖父母、叔父さん含めて、一族全員働いていました。
可愛がられて育ちましたが、今に比べたら随分乱暴な子育てだったと思います。
まぁ、昭和の一般的なスタイルですね。
そんな昭和の頃に比べると、令和の今は、子供に割ける時間も増えているはずです。
洗濯乾燥機など便利家電もたくさんありますし、コンビニもありますから、家事にかける時間はかなり減ったはずです。
そもそも少子化が進んでいますね。
時間的、精神的にも余裕ができたらできたで、その余裕を使って考えることを用意するのが人間なのでしょうか。
パスカルの言うように、人間は「考える葦」なのでしょうか?
問題がなければ、わざわざ探して大事にしたりしてね。
子供の面倒を見てもなお余る時間で、親同士の関係も考えたりするようです。
余裕ができて幸せになってるのか?、逆にストレスを感じているのか?、分からないですよね(苦笑)

ちなみに、息子は友達の親に「息子くんのお父さんは何の仕事してるの?」と聞かれて、「ピンクの髪してる芸術家」と言ってたそうです。
僕に関する謎は深まるばかりで、さぞ困惑したことでしょう・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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