その85 すごいブランディング

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

すごいブランディング

行ったことのあるお店の娘さんが、メディアで「美人すぎる魚屋」として紹介されていました。
もちろん、お見かけしたこともありますが、きっとほとんどの人が「美人だ」と思うんじゃないでしょうか。
ちなみに、その魚屋さん、飲食店とか朝市をやっていて、美人云々の前に美味しいです。
夜、そのお店で食事してたら、隣で飲んでた酔っ払ったおじさんが、「あんたも格闘技やってんのかぁ?」と赤ら顔で話しかけてきたんです。
その方が美人すぎる魚屋のお父様でしたw
美味しい魚をありがとうございました。

さてさて・・・

僕はこういう枕詞、キャッチフレーズをもらったことないのでわかりませんが、当人たちにとっては、「美人すぎる」や「イケメンすぎる」って枕詞はもしかすると素直に喜べないものかもしれませんね。
昔から「美人」「イケメン」って言われてきたろうし、容姿のおかげで得したこともあるでしょうから、きっと大なり小なり自覚もあるとは思います。
でも、そうだとしても、「自分で”美人”とか”イケメン”って言ってるわけじゃないよ!」と前置きしたくなりますよね。
妬み嫉みの類もありそうですから。
あと、「美人すぎる魚屋」は、美人の前に本来は「魚屋」のはずですが、不思議なことにアイドル的な対応を勝手に期待してしまいますよね。
「優しく微笑んでくれる」とか。
「いかつすぎる魚屋」だったら、そんな期待も抱かないでしょうに。
でも、両者とも「魚屋」なんですよね。

この枕詞ですが、あとに続く言葉とのギャップがあるほど生きてくるんですよね、きっと。
名古屋市の動物園に「イケメンすぎるゴリラ」って紹介されているゴリラがいるんですけどね。
なんだか、ギャップを超えてしまった感ありますよね・・・
ということは、「美人すぎる魚屋」の場合、極端な言い方をすると「魚屋」に「美人」なイメージは無いと思っているということなんですよね。
いやいや、魚屋さんにだって美人はいるでしょうよ。
でも、一般的なイメージとして、ギャップがあるのかもしれません。
「戦う行政書士」「戦う弁護士」とかもそれですよね。
そんなわけで、「美人すぎるモデル」「イケメンすぎる俳優」って聞いても、僕らはなぜか「それって当たり前やん」って思ってしまって何の驚きもありませんよね。
いつの間にか抱いているイメージ(印象)の影響って大きいですよね。

「美人すぎる」「イケメンすぎる」などの枕詞を自覚し、それをブランディングに使いながらも、葛藤はあるのかもしれませんね。
「そこで評価されたくない」という思いですね。
魚屋として評価されているのか、美人という加点があっての評価なのか?
イケメンゴリラも、ゴリラそのものとしての正当に評価がなされているのか!?と葛藤を感じているかもしれませんよ。

親の七光りも似たようなものかもしれませんよね。
何をやっても、「親のおかげ」「親がすごい」と付いてくるわけですから。

「美人」や「イケメン」、「親の七光り」といった持って生まれた特性を利用しない方法はいくらでもあると思うんです。
でも、彼らは最終的に、自身に備わった特性を武器に変えて、有効活用し、道を切り開いていくんです。
「魚屋」なんてごまんと居るけど、「美人」という要素が加わるだけで、強烈な個性を発揮しますからね。非常に戦略的だし、まさにブランディングです。
武器として使っていく覚悟を決めた人たちなんだよな、って思うんです。

そう言えば、サッカー選手の三浦知良さんと設楽りさ子さんの息子さんが、総合格闘家としてデビューするんだそうです。
しかも、デビュー戦がRIZINという日本では一番大きな舞台で。
RIZINには、格闘家の中でもごく一部の方しか出ることはできません。
そこに、ヘッドギア有りで出場するとのことで、いち格闘ファンとしては、「おいおい、それはさすがに七光りが過ぎるぞ(汗)」って思いました。
まぁ、彼もこうした批判を覚悟で、七光りを武器(きっかけ)に変えようとしているのかもしれませんよね。
七光りで得た機会をものにするかは彼次第。
まぁ、親がカズとか、サッカーやりづらくてしょうがないってのは分かる。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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