その131「ルールを守る能力か、余白を解釈できる能力か」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「ルールを守る能力か、余白を解釈できる能力か」

ルールを守るの苦手なんだよねぇ。
縛られるのとか、嫌いでさ。

こういう発言に憧れってありません?
ちょっと破天荒で、天才肌みたいな印象があってね。
天才や奇才に憧れる僕は、この発言を何回したことか・・・

でも、ようやく気付いたんです・・・

簡単なルールすら守ることができる能力が無いだけだってことに。
そして、それと引き換えに何か突出した能力が備わっているわけでもないことに(涙)

ルールと言えば、あるお客様の会社を訪問した際に、「御社の特色ってありますか?」みたいな話になったんです。
そしたら、「ルールが多い」って社員さんが答えたんです。
要は、改善活動に熱心な会社で、課題の数だけルールができてしまう、と。

なるほど、確かに会社が成長していく過程で様々な決まりごと(ルールや制度など)は増えていきますね。
これまで風土でなんとなく解決できていたことも、制度やルールなどで明確に線引していかないと、その会社組織で正しいとされる判断ができなかったり、人によって対応が異なり、それが品質のムラにつながったりね。

風土で解決ってそれっぽく言いますが、エネルギッシュな経営者なんかの直感や気まぐれで、ズバッと判断して、皆はそれに従っているだけということもあります。
こういうのは創業社長に多いですね。
喜怒哀楽が激しい経営者の顔色をうかがいながら仕事していくことで、それが風土になっていきますし、案外うまく行ったりします。
不思議な魅力ありますからね、創業者って。(かなりストレートに自分自身のことを肯定しにかかりました・・・)

ところが、人が増えて、拠点が増えていくと、そうもいきません。
経営者の目が届く範囲は限られてきますし、経営者の顔色を伺うこともできませんから、社風は薄れていきます。
「お前、そこは、ちゃんとしろよ!」と経営者が常に言っていることを、なんとなくですが皆理解しているんですが、経営者と接していないと、「そこ」ってどこ?「ちゃんと」ってどういうこと?がわかりません。
ルールにするためには、「そこ」「ちゃんと」に当たる部分を一つ一つ定義して、明示していくわけです。
さらに、課題が出てくる度に、予防のためのルールが追加されていきます。
これまでは、「そこ」「ちゃんと」で事足りていたのに、ルールとして機能させるためにすごい量になってきます。

こうなってくると、ルールを守り、従う側にも相応の能力が必要になってきますね。
「そこ」「ちゃんと」に存在する余白を解釈して、適した行動を模索していける能力とは全く違ったものが求められるようになります。
ルールが整備された、それなりに成熟している会社に入社する場合、ルールを守り、従う能力が求められるのでしょう。
そうなると、学歴は採用時に一定の指標になり得るかもしれませんね。
かくいう僕は高卒ですが、学歴に自信が無い場合は、ルール未整備の野戦病院みたいな会社の方が向いているかもしれませんw

過去記事『「制度」と「文化・風土」のどっちにする?』でも触れていますが、それこそ経営者が決める重要な部分だと思います。

ところで、「道徳的におかしい」「人として間違っている」という言葉、たまに耳にしますよね。
これら便利ですが、そもそもこれを具体的にしていこうとすると、微に入り細を穿ったものになりますから、ものすごいことになりますよね。
「人」というのは、このようなケースの場合は前後の文脈からすると・・・
あの人の性格から察するに「人」で表現しているコト/モノは・・・
このケースで「間違っている」の判断に使われた基準は・・・
もう、めちゃくちゃ能力を要求するルールになるでしょうね(汗)

ちなみに、最近、社内のルールが増えてきて、僕は全くついていけないんですけどね・・・(涙)

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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