第192回「日本劣等改造論(24)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― この国は―

「この国は」というタイトルを読んで、「この」という指示詞が指している国は「日本」だと思わなかっただろうか。なぜ、中国やアメリカといった外国ではなく日本になるのだろう。ただ単に、日本人の取扱説明書というタイトルに引っ張られただけだろうか。

日本を別の言葉で言うなら「我が国」になる筈である。我が国という言葉ではなく「この国」=日本というのは、自分の外に国があって、それを指差して「この国」といっているわけだが、まさに外国と同じレイヤーで日本という国を見ているといっていいだろう。

同じことが歴史にも言える。自国の歴史をnational history=国史というが、世界各国では自国の歴史を国史と言うが、日本では国史と言わずに、日本史という。わざわざ日本って付ける必要がないのに。

「この国は」によそよそしさを感じないだろうか。自社のことを「この会社はですね」と経営者や社員が言うと違和感がある。外野から言うだけの評論家的な。新人研修で「我が社」というように教えられたはずなのに。

では、我が国、祖国、国史といった言葉を聞いてどう感じるだろう。自国中心的なエゴや、戦前の全体主義の嫌なイメージをする人もいるだろう。若い世代は、普段聞かない「縁遠い言葉」かもしれない。

戦前の日本人の話を聞くと、この言葉に誇りを感じ、心が熱くなった人も多かったことがわかる。今の日本人が「我が国」にアレルギー的なものを感じる、もしくは何も感じないとしたなら、日本という国には日本人がいないといっていい。評論家と外国人ばかりの国なのだ。

一つ屋根の下に住む住人たちが、「当事者」となってその家を守り大事にすることでそこに「豊かな生活」が生まれるのだが、当事者がいなくなってしまうと、モデルルームのように生活感や人間味のないモノ的な家になる。

今の日本はインフラが整備され清潔であるが、当事者が少ないのでモデルルーム国のように見える。そのうち「この家、買った!」というお金持ちの国に爆買いされるかもしれない。

自分と家を切り離したことで当事者が消えたので、起こる出来事は他人事。日本という家は、今や「我関せず、自分だけ」というウイルスに感染したタニンゴト住民の棲家と化している。「自分だけのほうが、他人に煩わされることがなくてラクでいいじゃない」というかもしれないが、タニンゴト集団は、見えないところで、家が朽ち屋根が剥がれ、将来住む家を失うことを知らないのだ。

新人研修で我社とか当社とか呼ばせる前に、「我が国」という言葉がすっと心に入るように教育をした方がいい。なぜなら仕事とは、ジブンゴトの当事者になることがスタートだからだ。我が国教育なんていうと、右翼的と言われそうで、受けが悪い。それよりも、グローバル人材なんてカッコいい言葉で教育をしておきたい。学生にも受けがいいし。

そして、グローバル人材たちと、安い資源と安い労働力とピュアな消費者を世界中に探し出し、ガンガン金儲けをしてタックスヘイブンに本社を移せばいい。

そして、もぬけの殻となる廃墟の国へと突き進むのだ!(いや、その前に買われるかも・・)

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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