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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「『できる』上司になる方法!?」
自分の子どもが、「できない」ことが多すぎて、手がかかって大変・・・
スタッフと話しているときに、そんな話が出てきました。
僕は息子が一人だけですから、比較検討できませんので、何とも言えませんが・・・
それを聞いて、「え!?子どもって手がかかるもんじゃないの?!」と逆に驚きました。
だって、子どもって、話は通じないし、面倒くさいし、うるさいし、ブラウン運動かよってくらいに不規則に動きますしね。
なんにもできませんしね。
自分の子どもの頃を振り返っても、そんなでしたよ。
だから、手のかからない大人しい子どもって、逆に大丈夫かよ!?って不安になります。
大人からすると、手のかからない大人しい子どものほうが扱い易いでしょうけどね。
子どもに対して、「できない」を数え出すと、それこそ無数にあるから、うんざりしますよね。
例えば、
卵やキノコ類を食べることが「できない」
これ、うちの息子です。
一方で、その他なら大体なんでもモリモリ食べて、成人男性位の量をペロッと食べます。(息子、10歳・・・)
という事は、
卵やキノコ類を除けば、何でもモリモリ食べることが「できる」
とも言えるわけです。
つまり、「どちらをカウントするか?」ってことじゃないかな、と。
成人男性並みの量を食べることが「できる」
ですからねw
とは言え、「できない」を数えがちの人もいらっしゃるでしょうね。
そういう人は自分自身についても、「できない」から数えてしまいがち!?
例えば、自分に厳しく完璧主義なタイプだと、子どもの「できない」を数えては、そうなったのは自分が上手く子育て「できない」からだ、と考えてしまうかもしれません。
一方で、私は上手く子育てが「できる」のに、子どもが「できない」子に育つのは、子どものせい。・・・という親もいますからね(汗)
ちなみに、うちの息子はマニラに住んでいたとき、友だちと追いかけっこして、我を忘れて、マニラの街に消えていましたw
彼は自分の感情を抑えることが「できない」ということだったわけですが、一方、自分の感情に素直に行動「できる」とも言える!?わけです。
まぁ、僕の知り合いが迷子になった息子を発見してくれなかったら、今頃・・・って感じでしたが(汗)
歳を取れば、年々、「できない」は増えていきますが、可能な限り「できる」から数えたいものですよね。
部下や後輩を指導するとき、「できない」を数えがちですが、「できる」から探してみると、彼らの成長に気付けるかもしれません。
それに、自分のことを、「できる」上司・先輩って感じられるようになるかもしれませんよ。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。