母から受け継いだ指輪をネックレスに、片方なくしたピアスをペンダントに、思い出の詰まった2つのリングを溶かして1つに――。魔法のようにジュエリーを生まれ変わらせるジュエリー修理・リフォーム専門店「Refine」(リファイン)。代表の望月信吾さんに、お客様に感動を届けるジュエリーリフォームの魅力、そして波乱万丈な人生についてお聞きする対談企画です。
【新連載】第1回 証券マンから宝飾業界への華麗なる転身⁉︎
今回から宝石のリフォーム・リペア専門店「Refine」代表、望月さんとの対談が始まります。こうしてお会いするのは、約4年振りになりますね。
そうですね。時が経つのは本当に早いものです(笑)。
ええ本当に(笑)。望月さんが私に会いに来てくれたのが最初でしたが、そもそも望月さんは私のことをどこで知ったんです?
安田さんの書籍『私、社長ではなくなりました。』だと思います。
ああ、なるほど。私がどう会社を倒産させたのかを書いた本ですね。でも、会社を倒産させた社長に会いたいと思うなんて、なかなか珍しい人ですね(笑)。
笑。なんというか、どこかで共感してしまったんですよね。というのも、僕の身内も自己破産を経験してまして……。それで同じような経験をされた安田さんに興味が湧いて。
ああ、なるほど。そういうことなんですね。
「何だこの人は」とすごく惹かれて、立て続けに『自分を磨く働き方』も読んで。ああ、この人にはぜひお会いしたいなぁと。
なるほど。そういう意味では、別段ビジネス的な関心ではなかったわけですね。「話題の会社を作った人」「メディアにたくさん出ていた社長」みたいな文脈での興味ではないと。
私自身も経営者の端くれなので、それはそれで興味深かったですよ(笑)。安田さんの経営哲学と言うか、経営に対する考え方にも影響を受けていると思いますしね。
そう言ってもらえると嬉しいですね。では出会いの話はこれくらいにして、読者さんのためにも、望月さん自身のことを伺っていきます。ということでまず望月さんって、要するになにをやっている人なんですか?(笑)
笑。私はジュエリーのリフォームと修理の専門店をやっています。ジュエリーの販売もしていますが「古いデザインのジュエリーリフォーム」や「壊れた宝飾品の修理」がメインです。
なるほど。いわゆる普通のジュエリーショップではなく、修理屋さんなわけですね。「ネックレスが切れちゃった」とか「指輪のサイズが合わなくなった」みたいなニーズに応える店だと。
そうですそうです。そういった簡単な修理もしますし、それから「ジュエリーリフォーム」と言うんですが、元についている宝石を活かしてジュエリーのデザインを一から作り直すサービスもしています。というのも、「お婆ちゃんから宝石を受け継いだんだけど、デザインが古臭くて使いづらい」みたいなケースがあるんですよ。
ああ、確かにありそうですよね。
ええ。そういうお客様から宝飾品をお預かりして、今風にアレンジ・リフォームさせていただく。これが「ジュエリーリフォーム」です。デザインや印象がけっこうガラッと変わるので、喜んでいただいてます。
へえ~、そういうサービスがあるなんて知りませんでした。ちなみにガラッと変えると言うと、指輪をネックレスに変えたり、ペンダントに変えたり、みたいなこともできちゃうってことですか?
ケースバイケースですが、そういうことも可能ですよ。もっとも、元々ついていた宝石を活かす形になるので、100%別物になるわけではないですけどね。
ああそうか。そりゃそうですよね。元々の宝石の形を変えられるわけじゃない。
そうなんです。でも、台座が金やプラチナなんかであれば、一度溶かしてしまって、それをもともとの石と組み合わせて新デザインの指輪を作ることも可能です。
へえ~、そんなことまでできるんですね。そうして生まれ変わったジュエリーが、代々受け継がれていく。すごく素敵なお仕事ですね。
ありがとうございます。ジュエリーって、大事な思い出の品だったり、あるいは形見だったりして、人それぞれに思い出が詰まっているんですよ。でも、壊れていたりデザインが古いなどで使うのをためらって、タンスの中にしまいっ放しになっている。それなら自分に合う形にリフォームして、また使えるようになったら嬉しいですよね。
いやぁ、聞けば聞くほど素敵です。現在は3店舗経営なさっているんでしたっけ。
はい。東京の大塚、中野駅の近くにある中野マルイビル内、それから横浜の若葉台にそれぞれ1店舗ずつですね。
けっこうバラバラの地域ですよね(笑)。メインの拠点としては大塚なんですか?
そうですね。一応大塚が本社という形になっています。まぁ、宝飾と言えば御徒町の方が有名なんですけどね。もともと父が宝飾の仕事をしていたのも御徒町で。
ああ、つまり望月さんが宝飾に関わるようになったのは、お父様の影響なんですね。お父様はどんなお仕事をされていたんですか?
宝飾業界ってすごく細分化された業界で、金属を扱う「地金屋さん」、真珠を扱う「真珠屋さん」がいたり、ダイヤを扱う「ダイヤ屋さん」と専門がわかれているんですね。うちの父が扱っていたのは「色石」と言われるエメラルド、ルビー、サファイヤなどで、その卸しをやっていました。
なるほど。卸ということは、エメラルドなどの宝石を仕入れて、それを宝石屋さんに売って回るお仕事ですか。
基本的にはそうなんですが、うちの父の場合、まず宝石を仕入れたら職人さんに渡して加工してもらうんです。磨いたり削ったり、台座を付けたりね。そうして指輪とかネックレスの状態にして、それを宝石屋に売りに行くわけです。
ははぁ、なるほど。宝石をそのまま売るんじゃなく、付加価値をつけてから売るんですね。ちなみに取引先は都内の宝石店なんですか?
いえいえ、日本全国です。何百軒もある宝石屋さんを訪ねて回ってました。
へえ~。でもそうか、昔ってどこの街にも必ず1つは宝石屋さんがありましたもんね。店先にジュエリーが並んでいて、一緒に高級時計も売ってたりして。最近はあまり見かけなくなって、ちょっと寂しい気もしますけど。
そうですね。当時は全国で流行っていたんですけど。世間も様変わりしましたね。
そしてその後、望月さん自身も宝飾業界に入ることになるわけですが、それはどういう経緯で?
そうですね、まずは私ではなく、私の兄が父の手伝いをするようになったんです。父の事業がうまくいっていて、事業拡大をしたいと。
なるほど。それでお兄さんが入られて、要は親子二代での経営が始まったと。
二代というより、兄が経営を担うようになった感じですね。兄は僕と違って「超やり手」というか、悪く言えば「超ワンマン」な人で(笑)。でも当時はそれが功を奏したのか、兄が入って以降ずっと経営は上手くいってましたね。それでさらに人手が足りなくなったんでしょう、僕が証券会社に就職して2、3年経った頃、「会社が上手くいっているから、お前も入れ!」って誘われまして(笑)。
ほう。それで望月さんも合流することになったと。せっかくの証券マン人生を捨ててまで(笑)。
そうなんです(笑)。でも入ったばかりの頃は、うちの家業も勢いがあったんですよ。これならやっていけるぞと安心していたんですけど、結局僕が入って4年経った30歳の時に会社が倒産して(笑)。
えっ! それはまたどうして?
バブルがはじけた数年後、宝飾業界にも翳りが出てきて……「大手のあそこの店も潰れた、ここの店も潰れた」って状況の中で、ウチも(笑)。
すごい急展開ですね(笑)。では、次回も引き続き望月さんのお仕事、人生について迫りたいと思います。
対談している二人
望月 信吾(もちづき しんご)
ジュエリー工房リファイン 代表
25歳で証券会社を退社後、父親の経営する宝石の卸会社に入るが3年後に倒産。その後独立するもすぐに700万円の不渡り手形を受け路頭に迷う。一念発起して2009年に大塚にジュエリー工房リファインをオープンして現在3店舗を運営。<お客様の「大切価値」を尊重し、地元に密着したプロのサービスを提供したい>がモットー。この素晴らしい仕事に共感してくれる人とつながり仕事の輪を広げていきたいと現在パートナー募集中。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。