先日歌舞伎を観に行ったのですが、はじめに、役者の方のご挨拶と小話がありました。
小話は、業界の歴史についてだったのですが、歌舞伎役者の世界は血縁の世界なので、話に登場する人は話し手の祖父であったり、その兄弟であったりと、すべて親類です。
そして、話し手の方は、
「何々さんは何々さんの叔父にあたる方で、これもまた大変芝居の工夫に余念がなく、努力をされていらっしゃって……」
という調子で、すべての登場人物に敬語をつけていました。
正直、わたくしはこれに違和感をおぼえました。
おまえら全部身内じゃん、と思ってしまうのです。
しかし、この感性は古いのです。オワコンなのです。
別の伝統芸能でも、40代の芸人さんが自分の師匠の話をするさいに堂々と敬語を使っている場面を見たことがあったり、年代、場面にかぎらず全場面で敬語をチョイスしていくのが令和日本のスタンダードといえるのでしょう。
かつての日本は「ウチ」と「ソト」の境目は家族や組織にあり、文章語ではありますが「愚妻」「豚児」という強烈な単語すら、敬語カテゴリの中にあったものです。
いまは、おそらくその境界は「自分」と「それ以外」に移行しつつあります。
会社の中でも、上下間で、以前なら「呼び捨て」と「役職つき」だった関係で双方「さんづけ」であったり、となりの席の人と「ですます」で話すことは特殊なことではありません。
昔だったら、「仲悪いのか…」と思われるところですが。
一方で、人間であるからには、親しい相手との会話で敬語をキープし続けることはまれでしょう。どこかでフランク(これも死語ですが…)に変化していくものです。
全場面敬語社会が今後も浸透していくことを考慮すると、ひとつは、「ため口」をあやつるスキルがさらにバリューを高めていくのではないかと想像します。
以前なら「年長である」「先輩である」「同年代である」ことを理由に「ため口」を使っていた常識が通用せず、一定の親密度を築いて、はじめて「ため口」に移行していくというルールになっていくのではないでしょうか。
……敬語だらけの世界は一見するとラクそうですが、これ、むしろコミュ能力の格差がひろがっていきそうですね……。