人生で最大の快楽は金儲けである。こんな言い方をすると身も蓋もないがこれは事実である。金が手に入れば多くの欲求が叶う。値段を見て躊躇することもないし、誰かに束縛されて自由を失うこともないし、経済的な理由で何かを諦める必要もない。だがこんな快楽は金儲けの快楽に比べればたかがしれている。
金を持っていることが快楽なのではない。確かに金持ちは心地よいが必ず飽きる。欲しいものややりたい事にも限界がある。なんでも手に入ることは何も手に入らないよりはマシであるが退屈な事に変わりはない。なぜ人は使いきれないほどの金を持っていてもそれを増やそうとするのか。単に欲深いからなのか。
いや違う。金儲けとはそれ自体が快楽なのである。それは人類が編み出した最高の快楽と言っても良いだろう。性欲や食欲を満たすことも快楽ではあるがそれは生まれ持った本能である。つまり自ら生み出した本当の欲求ではない。だが金儲けは違う。これほど刺激的で永遠に飽きない快楽が他にあるだろうか。
金という幻想。それは単なるルールに過ぎない。金はオールマイティである、金があればなんでも手に入る、人間の感情すらコントロールできる、とお互いが信じ込む事によって作り出された幻想。この幻想が人生ゲームの根幹なのである。手に入れれば全てが満たされる究極のゲームアイテムなのだ。
仕事を楽しめと経営者が言おうものならブラックだと叩かれる。だから言えない。だが本物の経営者は知っている。仕事という名の金儲けゲームがいかに楽しいかを。楽しめば楽しむほど金儲けが上手くなるという事実を。義務的に働くことがいかに勿体無い人生の損失であるかということを。
いかに楽しく金儲けをするか。これが人生において最も重要な問いなのである。楽しめば楽しむほど仕事も金儲けもうまくいく。楽しいので仕事をやっているストレスもない。そして人生最大の快楽を得ることができる。生活のためではなく楽しむために働く。そして食うに困らない人生を手に入れる。
すべての努力はこのためにある。国語や算数を勉強するのも、体を鍛えて体力をつけるのも、音楽や美術という不思議な科目を習うのも、すべては金儲けを楽しむため。楽しみながら稼げてしまう、その仕組みを手に入れるためなのである。社長も先生も言えないのなら私が言おう。とにかく金儲けを楽しめ。
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