変化には勇気が必要だ。
と思い込んでいる人は多い。
だがそれはかなり一面的な見方である。
変わることに勇気が必要なのは、
変わりたくない何かがあるからだ。
例えば、苦労して手に入れた地位や名誉。
あるいは、慣れ親しんだ快適な環境。
苦労して、ようやく合格した有名大学、
ようやく取得した資格。
それを捨てるには、かなりの勇気が要る。
住み慣れた土地を離れるときや、
働き慣れた会社を辞める時にも、勇気は必要だ。
変化とは何かを捨てること。
そこに執着があれば、戸惑いが起こるのは当然のことだ。
だが一方で、勇気を必要としない変化もある。
例えば、好きな人と結婚し一緒に暮らすという変化。
戦争が終わり平和になるという変化。
歓迎こそすれ、嫌がる人はいないだろう。
ちょっと嫌なことがあれば、すぐに会社を辞める。
それを勇気ある変化だと讃える人は少ないだろう。
変わることに勇気と努力が必要な時もあれば、
変わらないことに勇気と努力が必要な場合もある。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日、明後日、明々後日。
意思を持って同じ今日を繰り返す。
そこにはとてつもない勇気が必要だ。
本当にこれでいいのか。
どんどん遅れを取るのではないか。
目に見える変化が欲しい。
そういう焦りの中で、変化しない日常に耐え続ける勇気。
慣れ親しんだ日常を捨て、
新たなものにチャレンジすることも勇気。
昨日と変わらない今日を、
ただコツコツと積み重ねることも勇気。
相反するようだが、その根底にあるものは同じだ。
それは本当の意味での自己成長である。
変化なくして成長は望めない。
そして変化するためにこそ、
継続という名の不変化が必要なのである。
成果が見えない今を、止めてしまうことは簡単だ。
だがそこで止めてしまっては、
本当の意味での大きな変化は起こせない。
成果が見えない時にこそ、続けて行く勇気が必要なのだ。
同様に、成果が見えている今を、
続けていくことは簡単だ。
だがそれを続けているだけでは、
これまでとは違う劇的な成長は期待できない。
成果が出ている時にこそ、
それを止める勇気が必要なのだ。
現状にしがみ付く事や、惰性でやり続ける事と、
意思を持ってやり続ける事とは違う。
逃げ出してしまう事や、飽きっぽい事と、
意思を持って止める事とは違う。
続けることや止めることは、物事の本質ではない。
その根底に強い意思があるかどうか。
意思あるところに勇気は生まれる。
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