メモリーの境目

人類の祖先は猿である。
というのがダーウィン進化論の定説である。
木の上で暮らしていた我々の先祖は、
なぜか地上に降りることを決意し、
遠くを見るために二足歩行するようになった。

その結果、大きな頭蓋骨を支えられるようになり、
脳みそがどんどん大きくなった。
というストーリーであるのだが、
どうもこれがしっくりこない。

「脳みそが大きくなったから、
頭が良くなった」のではなく「情報が増えた結果、
脳みそを大きくせざるを得なくなった」と
私は推測している。

人間と他の動物を分ける決定的な違い。
それは頭の良さではなく、情報の蓄積にある。
実際、人間以外にも頭のいい動物はたくさんいる。
たとえばイルカやチンパンジーはかなり頭がいい部類だ。
カンガルーに至っては二足歩行もできる。

しかしながら人間との差は決定的である。
どんなに頭がいい動物でも靴下すら履いてない。
下着すら身につけていないのである。
これほどまでの差を生み出しているもの。
それが情報である。

どんなに頭が良いイルカやチンパンジーが
生まれたとしても、
その知能は肉体とともに終焉する。
だが人間は違う。
他の人間の脳にそれをコピーすることができるからだ。

祖先が考えたことも、他人が考えたことも、
自分の脳みそにインストールすることによって、
自分の脳をバージョンアップさせることができる。
それが人間の凄さだ。

もしも生まれたての子供を、
情報から完全に遮断した状態で育てたらどうなるか。
いかに優秀な現代人の子供でも、
野生動物と変わりない存在になってしまうだろう。

つまり、人間の本質はハードではなくソフトなのである。
情報が積み重なることによって人類は進化し、
言葉や文字が編み出され、
さらなる情報の蓄積が可能となった。

大容量の情報をインストールするには
大きなメモリーが必要だ。
そうやって人間の脳はその容量を
増やしていったのだと思う。
だがそこにも限界はある。

脳みそというハードを大きくすることの物理的限界。
しかし人類はその限界をついに超える。
それは脳外メモリーの発明である。
人類最大の発明はお金でも蒸気機関でも
原子力でもなく脳外メモリーだ。

現代人のほとんどが手にするスマホ。
それはもうひとつの頭脳。
脳みそをはるかに凌駕する大容量のメモリーなのだ。
脳みその物理的限界を超えたことで、
すべての人類はもう一段上の生物へと進化するだろう。
それは一体どんな生き物なのだろうか。

 


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1件のコメントがあります

  1. 自分の分身と思っている、いや、逆に使われているかもしれないポータブル可能な携帯端末という脳みそと共存するという所でしょうか!

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