「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
54通目/大野からの返信
「可能性をとらえる目」
思いの他、時間が…(笑)
僕たちは、可能性をとらえる目が何かによって曇っている。そうさせているものは、比較や対立、評価や基準、所謂物差しです。そして、曇った目で眺めている現実では、人間は想像の及ぶ範囲でしか恵みを受け取ることができない。それを規定しているのが言葉、どう表現するかです。自分自身と状況を今とは違う別の言葉で言い換える手段をどう開発するかが鍵です。1926年、アインシュタインはハイゼンベルクに、目に見える事実だけで理論を組み立てる意味がない。現実は正反対だ。理論によって目に見えるものが決まるのだと語っている。僕は、言葉が意味の範囲を創り、探求すべき新しい可能性を開くと信じている。
前回53通目/安田「ようやく一致してきました」
なりたいものに進む過程の中でのみ結果的に「なるべきもの」になっていく。これは私も賛成です。自分に向き合うこと。これも大賛成。自分に向き合い、自分の心が求める「なりたいもの」に向かって進んでいく。すると結果的に「なるべきもの」になれる。素晴らしいじゃないですか。まさにこれですよ。私が言いたかったことは。でも多くの人はこれが出来ない。なぜなら自分ではなく他人や世間に向き合っているから。「なりたいもの」の定義にも他人の評価や社会的なランクを加えてしまうから。そんなものを取っ払い、本当の自分に向き合う。すると自分の本質が欲する「なるべきもの」が見えてくる。ようやく意見が一致してきましたね。
ー安田佳生より
前々回52通目/大野「未来を切り開く唯一の道」
勘違いさてしまったたようです。自己肯定感は世間的な物差し、基準、尺度の話じゃない。ポジティブでも無理矢理に思い込むと言う次元でもない。本然的可能性の話。誰にでも何にでもなれる可能性はある。しかし、それは必ず何にでもなれることを意味しない。だからって、なれるものを探すのではお話にならない。つまり、なりたいものに進む過程の中でのみ結果的に「なるべきもの」になっていく。
僕の独断と偏見ですが、未来を切り開く唯一の道は、得たい理想を描き、その描いた理想に相応しい自分になること。これしかない。それが自分と向き合うということ。大理石の塊の中にいる理想の自分を覆っている石の部分を削っていく作業だ。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/