「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
93通目/安田からの返信
「恐怖を脱する方法」
肉体があることは、恐怖があることとイコールなのでしょう。生きているから先のことを考えるのであり、先のことを考えるから不安になる。それは仕方のないことだと思います。私たちはひとり残らず恐怖エリアの住人である。そこを認めないことには先に進めないのではないでしょうか。殴られたら痛い。刺されたら死ぬかもしれない。会社をやめたら居場所がなくなる。お金がなかったら生きていけない。スタート地点はみな同じなのです。ではどうやったらその恐怖エリアから脱出することができるのか。少なくともその答えは根性や気合いではない。私はそう思っています。気合いや根性を口にする人は恐怖に縛られている人だから。
前回92通目/大野「そもそもお前達の思考はどこの住人なのか?」
仰る通り、ヒーローは恐怖を感じない人ではなく恐怖を感じる中で、足をガクガクさせながらも良心を行動に移せる人。ただ僕にはほど遠い境地ですが、恐怖が生まれないという境地は十分にあり得ると信じています。かと言ってその人の心に恐怖が無いかというと在る。在るが噴き出てこない。有る無いではなく、空。
昔は注射は怖かったし、営業では断わられるのが怖かった。所が気づけば今、その恐怖は影を潜めている。けれどまた、僕にはその恐怖を感じない状態が全然理想とも思えない。むしろ下手したら鈍りにも見える。そもそもお前達の思考はどこの住人なのか?が問われているように感じます。だって恐怖エリアの住人ならそこに帰るしかないので。
ー大野より
前々回91通目/安田「恐怖はなくならない」
人は恐怖に支配されると自己中心になる。スーパーでの買い占めなどはまさにその表れですね。確かにその通りだと思います。でもどうなんでしょう。やはり順番としては恐怖の克服が先なのでしょうか。まず自分を大切にする。余裕がないと人のことまでは考えられないから。まあ実際その通りですなんですけどね。でも、だからこそ、そこが試されているような気がするのです。余裕があるから人に優しくするのではなく、余裕がないときにこそ人に優しくする。それこそが真に恐怖に打ち勝った状態ではないのか。人間はそこに到達するために恐怖と戦っているのではないか。克服するまで決して恐怖はなくならないのではないか。そんな気がするのです。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto. com
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/