可能性の法則

誰の人生にも無限の可能性がある。ただその種類が人によって違うだけ。すべての人にメジャーリーガーになる可能性が備わっているわけではないし、すべての人に大統領になる可能性が備わっているわけではない。しかし可能性が無限であることに変わりはない。

私たちは一人ひとり種類の違う無限の可能性を持って生まれてくるのである。にも関わらずそのポテンシャルはほとんど発揮されずに終わっていく。人生が限られていることもその理由のひとつだろう。すべてを実現するには人生はあまりにも短すぎる。

だがひとつの方向を見定め、その可能性をどこまでも追及しようとするなら、そこに限界がないことを人は知るだろう。自らの成長に限界はない。どこまで成長するのか、その可能性は無限大なのである。

どんな分野でも初期の成長スピードは早い。運動神経が良かろうが悪かろうがある程度までサッカーは上達していく。しかし成長と共にそのスピードは落ちてくる。そして多くの人はどこかで成長が止まる。限られた人だけが成長を続ける。じつはそういう分野が誰にでもある。それこそが私の無限の可能性なのだ。

やればやるほど成長するがスピードはどんどん落ちていき、ほんの僅かな成長に何年、何十年とかかるようになる。ゴールは見えない。地を這うような成長がずっと続いていく。ここまで来ればどんな分野でも、成功者と言える立場になっているだろう。

成功とは何かを成し遂げることではなく、いつまでも成し遂げられない道を見つけ出し、極め続けることである。どんな人にも成功者になる道は開かれている。しかしそこに到達できる人は稀だ。それはチャンスがなかったからか。学ぶ時間や経済力がなかったからか。

多くの人は自分の限界を「足りないもの」によって感じる。時間、運動神経、お金、生まれ育った環境。だが可能性を狭めているものの正体は不足ではない。足りないのではなく持ち過ぎているのだ。既に手にしている何かを捨てられないこと。その執着が無限の可能性を狭めている。

これは失いたくない。これも手放すのは嫌だ。苦労してせっかく手に入れたもの。捨てられない執着が増えれば増えるほど、可能性は狭まっていく。人生の充実感は持っているものの量で決まるわけではない。歩むべき道をどこまで歩んだか。その納得感が人を充実させる。人生の可能性は広がらない。ただ狭まっていくだけ。可能性は最初から開けているのである。

 

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