「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
101通目/安田からの返信
「ああややこしい」
ついに100回を超えましたね。このやりとりに果たしてゴールはあるのでしょうか。我慢と忍耐は異なる。そうですね。まず言葉の響きが違います。我慢はネガティブな響きだけど忍耐はポジティブな響き。我慢はイヤイヤだけど忍耐は自分の意志。我慢は先に繋がらないけど忍耐は未来につながる。そんなイメージです。では我慢はしないほうがいいのか。忍耐はすればするほどいいのか。これもまた難しい問題ですよね。たとえば私にとって歯磨きは我慢ですがジムに行くのは忍耐という感じ。でも歯磨きだって未来の健康には繋がってるし。ああややこしい。ちなみにショートケーキのイチゴを最後まで残すのは我慢でしょうか。それとも忍耐でしょうか。
前回100目/大野「我慢と忍耐は異なる」
僕が思うに、そこに意図があるかないか、です。あるいは機会と捉えるか、ダメージと捉えるか。そして、その意図が果たして望む未来、武道で言えば心技体を一体とした己克になるのでしょうか、にリンクするのか?です。望む未来に相応しい過程なのか?です。例えば、我慢と忍耐は異なります。これは僕の観点ですが、我慢は大切なものを疎かにしている状態と定義しています。忍耐は大切なことの為に耐えている状態です。我慢の特徴としては、意図の有無にかかわらず、機会ではなく主にトレードオフとしてとらまえるのに対して、忍耐という意図は望む未来へとリンクさせる機会と観ます。そもそも機会として向きあう。その状況や制約を生かすべく。
ー大野より
前々回99通目/安田「反応ではなく応ですって。この意味わかります?」
周りの人によって自分が変わるのか。自分によって周りの人が変わるのか。どちらもありそうですよね。たぶんこれは起点の問題ではないのでしょう。きっとこれはスパイラルの問題。つまりどちらに向いた線なのか。人に優しくすれば、人からも優しくされて、もっと人に優しくなれる。人から冷たくされて、自分も人に冷たくなったら、さらに人から冷たくされる。どちらが良いかは明白です。けど人はやっぱり起点を気にするのでしょう。自分は反応しているだけなのだと。そう言えば武道の達人がこんなことを言ってました。相手の攻撃にただ反応するとやられる。でも何もしないとやられる。だから反応ではなく応が大事なのだと。この意味わかります?
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto. com
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/