コロナの時期、新しく入社したある社員について、
自分を含む周囲の人がほぼ同じような印象を持っていたことが後になってわかった、
ということがありました。
どういう印象かといいますと、
「(社内の)××さんに似ている人」
というものです。
背格好やぱっと見が、既存の社員の××さんっぽいな、と誰もが思っていたのです。
マスクのせいで顔をまともに覚えられないまま日にちが経っていく状態で、
外見をどういう風に認識するか、という際の典型的なパターンなのだと思いますが、
当然、これは当人に向かっていわれたことはありません。
他人に対してそういうことが失礼にあたり、デリカシーのない行為だとは
オトナであれば誰しもが理解できることでしょう。
ところで、たとえばスポーツや芸能など、個人に対して価値がつけられ、
その価値が高いの低いの、市井の者どもがあーだこーだいう世界では、
それに類する俗語があります。
「ジェネリック〇〇」という言い方です。
野球で実績がある選手が離脱した際、代わりに起用された選手が
似たような特性を発揮して結果を出したときにこれが使われているのをみて、
うまいことをいうものだ、と感心してしまいました。
あるいは、芸能人の方で、新しく出てきた人を
最近見なくなったと思われる人と「同じポジション」で比較するなど、
説明しなくても意味が即通じるのだから絶妙です。
そもそも、わたくしたちがなぜそんなにも
人や物事をラベリングし、定量的に評価したがるのかといえば、
未知のものを理解するのにいちばん都合いいのが
既知のものに似たなにかとして捉えることだからです。
ひとを見た目から記憶するのに
ゼロベースで特徴を押さえるのは大変だから
とりあえず誰かに似た人として登録しておこう、というわけです。
同様に、「上位互換」「下位互換」というフレーズも流行っていますが、
これも既存のものをモノサシにして評価する、
というスタンスは共通しているのです。
ただ、個人的な出来事ですが、こういった「ざっくり評価づけ」を
自分のリアルな仕事環境に持ちこむことは
ちょっとあぶなっかしいんじゃないかな、と感じることがありました。
と申しますのは、最近、他の人がなにげなく「上位互換」を口にしたとき、
(たまたまその人より自分がよく知っている事柄についてだったのですが)
「それがまったく上位互換とはいえないこと」
「そう言った理由が、“知ったかぶり”か“無知”に起因すること」
に気づいたからです。
リアルな価値評価が必要な、正しい判断をしなければならない場では、
ざっくりでは誤解や間違いを生み出す可能性が低くないのです。