その121 ラグジュアリーと庶民

最近、「駆け込みアーペル」というワードが
Xなどで流行ったそうです。

アーペルというのは世界的なジュエリーのラグジュアリーブランドで、
どのブランドもしていることですが、昨今の風潮で大規模な価格改定を発表し、
その結果、値上げ前にどこの店舗にもどどっと人が押し寄せた、
という日本っぽい現象が「駆け込みアーペル」と呼ばれました。

高級品であるとはたしかですが
値上げといっても倍になるわけではないので、
血道をあげて買いにいく必要があるのか、とは
猛烈に「欲しい!」と思っている人以外のほとんどが感じることでありましょう。

これが円安や消費税増税からの生活必需品値上げであれば
地上波のワイドショーも「我が事」として報じてくれそうですが、
高級ジュエリーの場合だと、取り上げるにしても
「不要なものに」とか「ムダなのに」とか「逆に貧乏くさい」とか、
半ばバカにするような見方になるに違いありません。

しかし、わたくしたち庶民はけっこうラグジュアリーが好きなものです。

不要でありムダである、
だがなんか「いる」というものは人生に多数存在します。
キリストがいうところの人はパンのみにて生きるにあらずというのは
ふつうは愛を指しているのでしょうが、
現代人にとっては愛もですが娯楽やら消費やらを人生と切り離して進むことは難しく、
人はコスパのみにて生きるにあらずなのです。

百貨店の一階に独立して建っていたり銀座に路面店を構える
ラグジュアリーブランドというのは、
その商品性と価格から、第一に「必需品でないこと」を強烈に伝えてきます。

実は、ブランドが今日のような形態になったのは1980年代からで、
それまではヨーロッパの上流階級に対して
フルオーダーがあたりまえの、とんでもない単価ではあるけれど
ウルトラニッチな商売を行っていたそうです。
それが、いわゆる「庶民」の生活レベルの向上に目をつけ、
グローバルに大きく舵を切り、ファンタジー的なマーケティングを駆使し、
業界自体を変容させて兆単位のビジネスまで爆発的に成長させてきた、
というのがわずか数十年の間に起こったことなのです。

ラグジュアリーブランドを経済的に形作っている正体は、
本物のセレブに対するオートクチュール(特注品)ではなく、
庶民たちがささやかな小遣いをあつめて買い支えている
大量生産された既製品の山なのです。

それをふまえると、泥水のような日常を泳ぎつづけるわたくしたち庶民が
「身のほどをわきまえず」ラグジュアリーを欲することは
本質的にはむしろ、正当なことだと帰結せざるをえないのです。

……さらには、わたくしがメルカリの個人取引で七転八倒したあげく
パネライを買ってしまったのも、おそらく、正当なことだと申し上げるほかないのです。

 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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