その148 不倫は文化か

わたくしは世間知らずの人間でありますが、世の中でいちばん盛り上がるのは、時代を問わずシモの方の話であるのだなあ、ということはわかります。まあ、ニュースがパーソナライズされている昨今、自分でも興味があることにほかならないのですが。

今この瞬間、お祭り騒ぎになっている大物芸能人によるなんたらでかき消される前、よく目についたのは違う著名人の不倫の話でした。
不倫騒動など、つまるところ大衆がはやしたてる嫉妬というノイズの嵐にすぎないのかもしれませんが、自分が多少の関心を抱いている人がつるし上げられる様子が伝わってくるのはモヤモヤするものです。

しかし、嫉妬をふりまわす第三者たちには錦の御旗があり、それが「傷ついた人間が存在する」ということです。具体的には不倫をした人の配偶者や子供であり、やっぱり他人には関係のない話です。しかも、対象の行為が一定のタブーをおかしていれば社会が犯罪と規定しているわけで、不倫のような犯罪にはなりえない行為と実際の叩かれ方のギャップというものが、個人的には気になっておりました。

ちょっと調べたところ、大衆心理はさておき、ある人間が配偶者以外と関係をもつことについて、人間社会の成り立ちからすると、むしろそれが自然な傾向であることは明らかなようです。

人という動物が何万年も自然界で生きていくためにやってきたこと、それは遺伝子を少しでも多く後世に残していくために最適化しつづけていくことだったそうです。
いいかえれば、人間の行動は個人の意思によるもののようにみえても、大局的には遺伝子が生存戦略の主導権を握っており、ひとつの個体はその施策を具体化する道具にすぎない、とすらいえるようなのです。

家庭において、一万年前あたりまで行われていた狩猟採集生活では、「乱婚」というシステムが広く行われていたそうです。
いわく、集団の中で女性も男性も特定のパートナーは設定せず、おたがい広く関係を結び、子供については母親を中心に、母親と関係のあった男性全員が分割して父親を担当したのです。

なぜそんなことをしたのかというと、それが遺伝子を残すうえでもっとも都合のいい家庭制度だったからです。しかも、それは一万年前ほどのごくごく最近まで続いていた話で、一方で一対一のパートナーを固定とする仕組みは、いわば文明的な生活を成立させるために、いましがた決まった即席のルールなのです。

その昔、「不倫は文化」というフレーズがありました。(本当はそうは言っていないらしいですが)

しかし、こういう背景からすると、文化なんてもんですらないようです。
人間の本質というか、もともとそういうもんだったというか……
 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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