その42 高級品

革靴マニアの方のブログで、こんなエピソードを見たことがあります。

若いころ、
有名超高級ブランドの、一足数十万円の靴を買いまくり、
毎日ローテーションして履いてもひと回りするのに1ケ月かかった。
「格下」の靴を履くのがもったいなかった。
それから時が経ち、
単にブランドが好き、そんな自分が好きだっただけだったと思うと
当時の自分はカッコ悪かった。

あるいは匿名掲示板で見たコメントで、

靴趣味にマックスにのめりこんでいたときには
一足十万円の靴を履きまわしていた。
今はそういうのからは離れて
そこらへんで売っている安物の靴を履いている。

というお話を見たことがあります。

いずれも示唆に富むエピソードです。

高級品を身に着けることがエラいわけではないことは
アタマではわかっていても
気持ちはアガるし、単純に楽しいものです。
品質のよさは高額になることでしか手に入れられませんから、
(その逆はありうるようですが)
高品質のモノを身近に置く心地よさ、
あるいはそれを理解できる自分の知見に対しても
ほかほかとした気持ちよさが発生します。

都会に行くと、まれに
ハイブランドであることが一目でわかる
洋服やバッグに包まれた人というのがいますが、
本人がセレブレティでない限りは
そのセンスがリスペクトされることはあまりないようです。

富裕であることをわかりやすく誇示することは下品である、
という古典的な日本的美意識と
相容れないのは当然でもありましょう。

ただ、ハイブランドというのは品質を記号化したものでもあり、
みんな大好きスティーブジョブズが
選ぶことにエネルギーを使いたくないという理由で
同じメガネ、同じ服、同じスニーカーを複数用意し、
使い続けたという有名なエピソードがあるように、
むしろそういったことに興味がないから
自分の衣料は全部ヴィトン、というのが動機ならば、
相応の理にかなったものともいえます。

正直、なんかカッコイイ気もします。

高級品であればすべて良しなのか?
価値を理解して使用すればありなのか?
あるいはさらっと使えばカッコイイのか?
という疑問はとどのつまり、
価格の問題ではなく
「モノにどれだけとらわれているか」
の問題に着地するように思います。

したがいまして、こんな風に
にちゃにちゃ
語っていたらまず論外ということでもあります。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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