突然ですが
服道楽、あるいは靴道楽の男性が
配偶者から賜る定番のメッセージを
ご紹介いたします。
服道楽のかたの場合、「同じようなものをいくつ持ってるの」。
靴道楽のかたの場合、「足がいくつあると思ってるの」。
おそらく人間の歴史で言われ続け、
これからも世界のどこかで繰り返されるであろう
サステナブルな諫言でございます。
ささやかに服道楽のかたの援護をするとすれば、
男性のクロージングの特徴をひと言でまとめるに
「明確なルールが存在し、その制約を愉しむことにある」といえるもんですから、
そのワードローブが無関心なかたから見て
似たり寄ったりになるのは
至極当然の理であります。
いうなればこれは伝統芸能や古典芸術を理解するのと同じ
成熟した大人だけが参加資格をもつ愉しみなのです。
あるいは靴道楽のかたのフォローを試みるとすれば、
足の数だけ靴があるのは
これまた当然の帰結であり、
30足お持ちであれば足は60本、
100足お持ちのかたであれば
200本お持ちだと推察されます。
まさか足の本数が1桁に収まるとかましてや2本しかないなどは考えにくく、
そうであったら靴が多すぎたという残念な結論にいたるほかありません。
まさかですが。
戯言はさておき、
服道楽のかたの場合、
エスエヌエスなどを拝見していると
「新しいもの買ったらあとで同じもの出てきた」
あるいは
「持ってるの忘れて買ってしまった」
などという投稿をときおり目にすることがあります。
貧しいがゆえにモノ持ちでないわたくしですら
正直それに近い体験がまったくないわけでもないです。
もしそれがひとつの真理だとすると
「同じようなものを持っていることにも意味がある」
という仮説があとかたもなく吹っ飛んでしまいます。
「量が多すぎて同じようなものを持っていることを覚えていられない」
となりますと、
人間の行動についての新たな仮説が発生し、
それはつまり
「手持ちのものに意識が向かず、新しく買うことを選択する」、
とどのつまり
「モノが多すぎるのは、それはモノが多すぎるから。」
という
〇泉進次郎
になってしまいます。
人間は、どこへ向かったらいいのでしょう。