わたくしが勤務している会社は中小企業であるため、
ブルドーザーのショベルのように新卒学生さんをがっぽりと掬ってきて
入社させるということはございません。
新卒にしても、中途にしても、
ごく小規模に採用活動して集めて受けてもらって、
ということをしています。
数人や、場合によっては一人を相手にした会社説明会の際に
担当者が小さな社内を案内して回っていることもしばしば見かけます。
最近、自分と同世代の他部署の人がそのときの話を持ち出したことがありました。
彼曰く、
「応募者の人にフロア案内するとき、静まり返ってるでしょう。
あれは良くなんじゃないかと前から思ってるんだよねえ…」
ということでした。
正直、内心わたくしは驚いていました。
電話や打ち合わせはするときにするだけのものですので、
そうでないときはフロアにいるのが10人でも100人でも
事務所など静かであたりまえだとそこで10年以上過ごしてきた自分は思っていたのです。
フツーの大人であれば
アイスブレイク的な、世間話的な、潤滑油的な、
そんなようなコミュニケーションが頻繁にあってしかるべきだというのが彼の意見ですが、
いわれてみれば
常識的には人間関係の構築のためにそのように考えるのが妥当だと
コミュ障おじさんのわたくしですら、そう思います。
話が離れますが、
十数年前にアメリカで発表された論文で
「自分が社会人になったときの経済状況が社会をとらえる価値観として刷り込まれ、
のちのちまでその人の中で作用する」
という説があるそうです。
独り立ちした個人として、初めて社会に参加したときに体感した空気が好景気であれば
経済というものを直感で楽観的にみるようになり、
不景気であればその逆になる。
すなわち、日本のように30年低調な状況では
労働・消費の主体の多くはペシミスティックなデフレマインドを抱えた人間ばかりになるということです。
この説が信用できるのか、またほかに応用できるのかは判断できませんが、
ひとつだけわかるのは、先に挙げたような
「コミュニケーションのためのコミュニケーション」
に対する信頼は、正しさではなく経験によるのではないかということです。
一見無駄にみえる声がけ、挨拶、歩み寄りのための笑顔、見返りを求めない親切、
そういったものがもたらす本質的な価値というのは
誰もが時間をかければ理屈で理解できるものです。
それに対して、何十年か前の
くそのような上司、くそのような周囲、くそのような会社と関係構築するには
飲み会などくその役にも立ちはせず、
くそのような自分が周りの役に立つと評価される以外の手段はないのだ、
というかなしい経験のどちらを信じているか、ということなのです。