その99 話が通じない

世の中、自分以外はみんな他人ですので、どなた様も
「この人は話が通じる」
という前提で接している方もいれば
「この人は話が通じない」
という方もいらっしゃることでしょう。

前者と話しているときは、話したいことをそのまま口にすればいいという
安心感から、自分にとってラクなコミュニケーションが取れる状況ですが、
問題は後者の場合です。

やりとりをしようとする内容以前に、
「どういう伝え方をすればこの人とマトモなやりとりができるのだろう」
という課題を常時抱えることにより、
コミュニケーションの効率は低下して
感情的にはストレスになり、
コミュニケーションコストが高いというか、ふつうにしんどいものです。

これは社会にいる限りある普遍的な問題ですので、皆さまの対応策は
それぞれ独自の方法が存在し、実施されているのだと思いますが、
近年、自分が年をとり、相手の年齢も平均的に上がっていく中で
個人的に感じることは、
「そもそもが、伝え方の問題ではないのではないか」
ということです。

簡単な言い方をしてしまいますが、
自分と同じか、もっと頭がいい人と話をするのは楽なものです。
相手が情報を受け取る能力、それを組み立てて理解する力を信頼することが
できるからです。
その過程が適切に行われていることは、
相手のアンサーの中に納得いく「筋道」がついていることで証明され、
「ああ、相手はわかってくれたのだな」と思うのです。

一方、話が通じない人のムズカシイところは、
アンサーに筋道がついていないから困る、とは「限らない」ところです。
むしろ、筋道はしっかりしていることが多いからこそ
話が通じない問題はモヤモヤを生むのではないかと思います。

具体例をあげますと、
「何をテーマにしていても自分語りで戻ってきてしまう」
などです。
自分についての話、たいていは持論の展開や独自の批評は、受け取りづらくはありますが
話の論理が破綻しているわけではありません。
むしろうんざりするほど詳細で生々しいものだったりします。

ムズカシイのはそれが不快さを伴いがちであるため、
不快感が内容と結びつき、結果、
「自分語りになるからこの人を相手にするのはしんどい」と感じやすいことです。

本質的にはそうではなく、
こちらが話の「テーマ」として投げかけたことと関連が薄い、
その人にだけ興味のある「ストーリー」が返ってくることが
モヤモヤ、イラっと感の正体なのです。

……なんだかこういうことを申し上げるほどに、
ひたすらブーメランを投げているだけのような気もいたします。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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