コミュ障経営者のギモン その49
「他者に意見を求めるけど、誰の意見も聞かない不思議な人」

 このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

他者に意見を求めるけど、誰の意見も聞かない不思議な人

皆の意見を聞きたい。

そんなときってありません?

僕もスタッフに意見を聞くことはあって、例えば、あるサービスの名称を考えるお仕事があったとします。
(弊社ブランディングのお手伝いしているので、社名、サービス名、タグラインなどのご依頼も多いんです)
自分だけの発想だと、どうしても視野が狭くなったりして、行き詰まることってあるんです。
そんなとき、思いも寄らないアイデアや視点をもらえるので、意見を聞くってほんと便利なんですよね。

ところで、中には「意見を聞きたい」って言いながら、ガッツリ答えを持っている人っていますよね。
意見を求められて答えると、「それは違う」ってなぜか説教される、みたいな。
こういう人って何がやりたいんでしょうかね?
僕、こういう人に腹が立つとかはなくって、逆に興味を覚えちゃうんですよね。
この手の方は、自分の考え(答え)をしっかりと持っているんです。
それもあって、他人の意見でブレるような性格じゃないんです。
「じゃあ、聞かなきゃいいのに」って思うんですが・・・聞いちゃうw
その可愛さは何なんだ?ってね。

ちょっと例え話で考えてみましょう。
会社で皆と一緒にランチに行くことになったとします。
前述のようなタイプ(Aさん)が責任者だった場合を想像してみましょう。

Aさん:皆、ランチで何食べたいか教えて?

・・・と聞くわけです。

Bさん:向かいのラーメン屋で豚骨醤油ラーメンが食べたいですね。
Aさん:あのラーメンは塩分過多で身体に悪いから駄目。
Cさん:私はとんかつが良いですね。
Aさん:あの店の油は古いからやめたほうがいい。
B・C:・・・
Aさん:他に意見はありませんか?

・・・ってなります。
出す意見、出す意見、ことごとくへし折っていきます。
当然、意見は出づらい空気になります。

一方、Aさんが最初に自分の意見を述べていたらどうなのか?を想像してみましょう。

Aさん:今日のランチはお弁当のデリバリーにしましょう。

Aさんの性格を知っているBさんやさんは反対意見を述べないでしょう。
ところが、Aさんのことをよく知らないDさんがいた場合・・・

Dさん:普段社内で弁当を食べている人も結構いるので、外に出かけたいです。

・・・ってなるかもしれません。
さらに・・・

Eさん:あ、私もDさんに賛成です。
Fさん:僕もいつも社内で食べてるから、たまには外がいいですね。

と援護射撃から、まさかの・・・

B・C:良いですねぇ、外に行きましょう♪

・・・Bさん、Cさん、まさかの裏切りw

もしかすると、Aさんはこれを恐れているのかもしれませんね。
自分への忠誠心とか隷属意識、自身が持つ求心力みたいなものに自信がない。
もしかすると、「この指とまれ」で、過去に誰も止まらなかった経験を持った方なのかもしれません・・・
そんなトラウマがあるのかも。
こう考えてみると、Aさんの指にとまってあげたい、そんな気になってきませんか?

僕、一般的に偏屈って言われる人とかに興味津々で、こんなことばっかり考えちゃうんですよねぇ・・・
もちろん、僕もまた偏屈で、指にとまってもらえない側の人です・・・(T_T)ウゥ…

ところで、他人に「意見を聞く」ということについて、一つ注意点があります。
それは、相手からしたら「自分の意見が採用されるかも」って期待感が芽生えるということです。
それを念頭にコミュニケーションをとらないと、相手をガッカリさせてしまうこともあるのです。
逆に言うと、意見を求められてもあんまり期待しちゃだめってことです。

弊社スタッフのお母さんは、昔からこう言って彼女を育てたそうです。
「期待は絶望の母」

記念すべき第50話を目前にして、こんな調子で良いのかな…

 

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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