その98 「制度」と「文化・風土」のどっちにする?

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「制度」と「文化・風土」のどっちにする?

会社って大なり小なり何かと「きまり」ってあると思うんです。
制度ってやつですね。
国が定めたもの、会社などの組織が独自に定めたものがあって、ステークホルダー(ここでは経営者や従業員など)はこのきまりを守らないといけません。

この制度ってやつなんですが、もともとはもっと曖昧だったと思うんです。
例えば、昔は「再来週、半日くらい休むかもしれない」なんて人がいて、「あぁ、わかった、引き継ぐことあったら教えてね」みたいな感じで休めたかもしれません。
実は僕の父母両方の実家は商売をやっていて、家業ですから、恐らくそんな感じだったと思います。
会社組織であれば、差はあれど、お互い融通し合ったりして解決していた時期もあったと思うんですよね。
(実際のところ、有給は戦後に導入されたようですから、実家の家業もその制度に従う必要はあるのですが)

その「融通」って一体何なんだ?って考えると・・・
組織にはそれぞれの組織文化・風土(会社なら社風って言うのかな)ってありますよね。
そうした曖昧な価値観をくみ取りながら、各人が運用してきた結果、「融通」なのかな、と。
そして、その文化・風土では制御できないケースや適さないケースが出てきたとき、「制度」を設けるようになった・・・みたいな。

組織が拡大すれば、人も増え、色んな価値観が出てきますから、融通し合のが難しくなってくるのは当然でしょう。
「そんな理由で休むのは駄目だ」「いやいや、それは酷だから少しくらい…」みたいに、人それぞれ色んな考えがあるでしょうから。
法律も「制度」の類いって考えてみると・・・
聖徳太子の十七条憲法の時代と比較すると、現在の日本国憲法の内容は複雑化しているし、内容も多岐にわたるようになりました。条数も100を超えるようです。
「制度」を用いて運用する場合、融通が効かない分、例外も多く発生するでしょう。そのため、細目も必要になってきます。
でないと、「制度」への信頼がゆらぎますから。

じゃあ、以前のように文化・風土(社風)に委ねた運営に戻そうか・・・としてもそうはいきません。
例えば、道路交通法を(かつてのように)互いに融通しあうものに戻そうとしたら?
労働基準法に則り、各社で定めた有給制度について、各社の社風にまかせますよ、ってなったら?
これは・・・大変ですよ(汗)

一旦、制度化したものは、文化・風土に戻すのは不可能に近いのかもしれません。
僕の経営の師匠もそんなことをおっしゃっていて、「まずは社風で解決することを考えてから、制度を検討したほうがいい」とアドバイスもらったことを覚えています。
不可逆だとしたら、制度の導入についても慎重になりますよね。

ところで、「制度」って自分にとって都合が悪い場合・・・

私が決めた制度じゃない!
私はより優れた制度のアイデアを持っている!
そんなことも思いつかないなんて馬鹿なの!?

・・・ってマウントだってとれちゃいます。
例えば最近だと、コロナ関係の政府の対策について、さんざん好き勝手批評していませんでした?(笑)
僕たちって、直接関わっていない事柄について、ほんとに好き勝手に批評しますからねぇ。

一方、文化・風土って、人との関係性でつくられる環境だったりするんですよね。
その文化や風土の醸成に自分も関わっていることになるわけですから、そこへの批評ってブーメランのように自分にも返ってきます。
だからね、皆、ブツブツ言いながらも「制度」の方が好きなんだろうなぁ、って思うんですよね。

弊社のフィリピン子会社のフィリピン人スタッフなんて、「フィリピンではこれが普通です」って言いながら、手当とか、任意保険とかすんごい要求してきますからね。
どういう文化・風土やねん(汗)って戸惑いますよ。
ちなみに、普通かどうか調べると、フィリピンの企業の中でもトップクラスの例を都合よく持ってきてるだけで、これまたよくそんな要求できるな(汗)とフィリピンの文化・風土に震え上がります。
なお、この震えは恐怖や武者震いの類いではなく、怒りに近いものかな・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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