このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
権限委譲すると老害になるという悲しいお話※この話は実話です…
僕は26歳で起業して、10年程経った頃、会長になりました。
新しい広がりや成長を考えてのことだったんですけどね。
創業メンバーで支えてくれていた(見た目が僕と真逆の)人が、社長になって日本法人を率いてくれています。
ちょっと時間ができた僕は、フィリピンにITアウトソーシングの拠点を設立しようと考えて、フィリピンに住み始めます。
2016年から3年半くらいでしょうか。(準備期間など入れるともうちょっとかな)
そしたら、日本法人の調子が悪くなったとかで、社長から「帰ってきて欲しい」と言われ、帰国することになります。
あれこれ社内の悪いところを改善しているうちにコロナがやってきて、フィリピンにも戻れず・・・
まぁ、こうしてメディアに寄稿しているわけです。
これが第99話ということで、約2年もの間、毎週書き続けていることになります。
日本法人の立て直しの目処がついて、落ち着いてくると、やることも無くなってきます。
地盤を固めて落ち着いてくると、スタッフも成長していきますしね。
そうして僕はお役御免になるわけですが、フィリピンには戻れないし、よくわからないピンク髪のおっさんが会社にいる・・・「ところで何してるんでしたっけ?」みたいな状態になるんですよね。
「いやいや、救いに来たんやで!」みたいなw
マネジメントっていっても、日本法人は社長が中心でやっているわけで、それを超えてでしゃばることはできません。
手持ち無沙汰にしていると、会長とはいえ、「あれやってくれ」「これやってくれ」と現場仕事が入ってくるわけです。
なので、普段はデザイナーやディレクターと同じことやったりしているのです。
ところが、僕の現場での能力って、今や一般的なスタッフに大きく劣るんですよねぇ(涙)
だって、権限を委譲しまくって会長になってきているわけですから、委譲したその瞬間から、委譲した分野での成長はストップしているわけです。
日本法人の運営という面では、社長の方が長けているわけですし。
プチ経営再建みたいな一人タスクフォースの役目を終えたら、今度は「会社としてピンク髪のおっさんを手持ち無沙汰にさせておくわけにもいかん!」って具合でね。
もう、現場仕事に要求される能力は、僕のそれを遥かに超えているんですけどね・・・(汗)
年末、お客様と話していたとき、人手不足で社長が現場に出たことがあったらしいんです。
でも、社長が現役だった数年前の現場と今では大きく変わっていて、足を引っ張るばかりで何もできなかったんだとか・・・
もう、めちゃくちゃわかるなぁ、って。
老害と自覚しながらも、老害で居続けるしかない・・・
そんな人だって世の中にはいるんだな、ってね。
人にちょっと優しくなりましたよ。
権限委譲をした人間は、委譲した分野での成長が止まります。
権限を委譲すると、その分野に関連する情報が入ってこなくなりますから、早々に浦島太郎状態になりますからね。
とくに、会社は成長するとともに、オールラウンダーから、スペシャリストが求められ、仕事内容も高度なものになりますから、今更現場復帰しても全く使い物になりません。
ゲームのキャラクターメイクじゃないけど、慎重にしないと後戻りできません。
僕のように詰んじゃいますよ!
ただ、これが人間性が優れてて、人に好かれる、人が寄ってくるってタイプなら良いんですが・・・
僕の場合は、コミュ障で、妬み嫉みの塊みたいな小さな男ですからね・・・涙
会長になって左うちわでふんぞり返るどころか、人生軽く詰みはじめたんじゃないか!?(汗)、そんな話でした。
皆さん、権限委譲はどうか慎重に。
でも、委譲された側はドンドン成長します。これホント。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。