その150「年越しそばを、美味しく、楽しく食べられた人」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「年越しそばを、美味しく、楽しく食べられた人」

今回で第150話・・・週に1回の掲載ですから、いつの間にか3年近く続けていることになります。
継続って難しいですよねぇ・・・

継続と言えば、弊社の日本法人社長は「継続の鬼」で、経営塾で学んだ言葉(会社で言うところの社是のようなもの)を毎朝唱和しているようで、それが2000回を超えたんだとか。
もう、その塾の先生も「唱和しろ!」って言ったのを忘れているレベルですよ。
「誰でもできることを、誰にもできないレベルでやる」みたいなことをよく言ってて、まさにそれを体現している鉄人です。
でも、そんな鉄人も禁煙とか何度も失敗しているんですよね・・・
これまで継続してきた喫煙習慣を止めるのは、継続の鬼としては極めて難しいのかもしれません。

継続って、あるレベルまで行くと、習慣になりますよね。
無意識にできるようになったり、やらないと気持ち悪くなってきたり。
喫煙習慣はまさにそれですよね。
タバコを吸ったことがない僕にはわかりませんが、「口がさみしい」って言ったりしますよね。

ところで、逆に何の習慣もない人っているのでしょうか?

例えばそれって、朝起きてからの行動が毎日違うってことですよね。
それどころか起きる時間もバラバラ、寝る場所、居所もバラバラ・・・
酔っ払って気絶&記憶喪失するようなイレギュラーでもない限り、普通の人にそんなことは起こりませんよね。
僕は昔、見慣れぬ茂みの中で目を覚ましたことがあります。
まずスマホの地図で現在地の確認からはじめましたねw
アルコールって習慣を狂わせるアイテムですね。
自分を変えたい、つまり習慣を変えたいって思う人が、酒に溺れるというのは、習慣を崩す方法として、一定の効果はありそうです。
しかし、今度はアルコールが習慣化しちゃいますね。

さて、習慣が社会レベルに広がって、世代を超えて受け継がれていくと慣習になる。
例えば、年末年始をどう過ごすかということも日本には慣習がありますね。
年越しそばを食べたり、初詣に行くというのは慣習です。(やる/やらないは別として)

年越しそばの由来は、そば粉で作った「蕎麦餅」という説もあるようです。
その餅を食べた人の運気が上がったそうで、その噂が広まっていった、とか。
あとは、切れやすい蕎麦から「今年1年の災厄を断ち切る」のような意味合いもあるようです。

誰かが始めた習慣がコミュニティ内で一定の支持を得て、それがそのコミュニティー内での慣習となるとするなら、変な習慣が支持されなくてよかったですよね。
年末に蕎麦を食べるだけで良かったですよ。

ところで、どんな慣習も主体的に関わらないと楽しめないですね。
年越しそばという慣習も、「どうせなら美味しく蕎麦を食べよう♪」とかね。
会社のルールも、会社というコミュニティにおける慣習と考え、主体的に関わっていくとまた違うかもしれませんね。
「このルールにはどんな由来、背景があるんだろう?」と少し興味を持つのも良いかもしれませんよ。
少なくとも「やらされている感」とかは薄れるかもしれません。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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