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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「ぎりぎりコモディティ化しないものを探せ」
今年の後半、会社の移転を考えていて、色々物件を見ています。
「良いな」ってところはびっくりするくらい高いですね。
交通の便が良く、新しくてかっこいいビルで、共用設備も綺麗で、ガラスも大きくて採光も抜群でね。
でも、コストのシミュレーションとかしていると、身の丈みたいなものを思いっきり突きつけられるんですよね。
だから、昭和生まれの築古物件も視野に入れて、内見をするのですが、いくつか見ているうちに、オフィス(部屋)に入ってしまうと、どれも似たりよったりで、案外個性がないことに気付きます。ビルの外観ほどのに差がないんですよね。
まぁ、そもそもオフィス(部屋)に個性なんて要るのか?って話なんですが。
オフィスで仕事するって、昨今パソコンに向かって仕事することがほとんどですし、自ずとそれに最適な空間になっていきますからね、そりゃどこも似たりよったりになりますよね。
結果、「このビルはパウダールームがウリです!」とか共用部分に力を入れはじめるわけなんですが、これとてコモディティ化が進んでいきます。
この共用部分の改修は何年か毎に行われるので、ある程度トレンドは追いかけられます。一方で建物はそうもいきませんよね。
建物の立地なんかは、後から変更はききませんから。
こうした後天的には改善困難な部分(先天的に優れた部分)を重視して候補を絞り込んでいきました。
それで思い出したんですが・・・
弊社のお客様で、田んぼの真ん中に店舗を構えた美容室があります。
これは素晴らしい先天性なんですよね。
ここでは田園風景を眺めながら髪を切ることができるのですが、他の美容室が「田園っていいなぁ、うちもやろう」と後から思っても、真似しようがありませんよね?
都心部の美容室からしたら、絶対に真似できない要素ですし、上手くやれば一般的な美容室の商圏を超えてお客様がいらっしゃるんじゃない!?って思えたんですよね。
すでにブランド(特定の対象にとっての特別な存在)になり得る要素を持っているわけです。
田園風景を持った美容室なんてすぐに真似できませんから、コモディティ化しようがありません。
こんな風にコモディティ化しようがない要素を持っているって強いですよね。
結局、僕らが選んだ物件も、立地、オフィスからの眺望を含めた周辺環境の良さが理由でした。
他の物件からは得がたい価値が備わっていたということですね。
需要が高く、真似るハードルが低ければコモディティ化されて競争力が無くなっていきますからね。
需要は高くとも、真似るハードルが極めて高くて実質真似ることができないというのが本当に強いですね。
物件選びで感じることができました。
やはり、「他からは得がたいモノ」を持っている企業、人は強いですね。
じゃあ、それは何やねん?
どうしたらええねん?
って話になるんですけどね。
・・・誰か僕に教えてくださいよ。
適度に需要があって、真似るのがちょっと面倒くさい、ぎりぎりコモディティ化しないやつをw
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。