経営者のための映画講座 第15作目『女と男のいる舗道』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『女と男のいる舗道』で学ぶ人心掌握術

さて、ゴダールである。ジャン=リュック・ゴダールである。ヌーベル・ヴァーグの旗手、フランス映画界の孤高の天才と呼ばれた人である。正直、いろんな過去の映画や絵画、音楽を引用したり、大胆な省略を施したりする彼の作品は、やはりとっつきにくい。マニアックと言われても仕方がない。そんな中、ぜひ、経営者のみなさんにも見てほしい作品がある。それが『女と男のいる舗道』だ。

1962年(蛇足ながら私が生まれた年に発表された)この作品はアンナ・カリーナ扮するナナという主人公が離婚を経て娼婦になり不条理にも死んでいくまでを描いた作品だ。と言っても決して重苦しい作品ではなく、どちらかというとまだ若かったゴダールが大好きで結婚までしたアンナ・カリーナのために作った映画という印象が色濃い。そのため、アンナ・カリーナが演じやすいように、集中力を保ちやすいように、わかりやすい仕掛けがあちこちにあるのである。

まず、全部で12の章に分かれていて、それぞれにタイトルが付いている。例えば「1.ナナ、ポールとの別れ。ピンボール」「4.警察、ナナの反対尋問」など、その章でなにが語られているのかが事前にわかる。そして、章ごとに何らかの遊びがある。例えば、ただ主人公のナナが映画を見て涙を流すだけの章があったり、哲学者とアドリブで話すだけの章があったりする。

さて、この映画で特に経営者のみなさんに注目していただきたいのが、ナナを売春に引き込むラウールという男である。第6章あたりで登場するのだが、この男が見事にナナの気持ちを掴んでいく。決してハンサムでもないのだけれど、会った瞬間にナナという女を読み解くのである。もちろん、たくさんの女を商売に使ってきた男だから、きちんと仕事をする女としない女を見極めることもできるだろうし、途中で逃げ出す女かどうかもわかるのだろう。そして、自分の商売に役立つと思えば決して逃がさない。ようは人たらしなのである。

それまで、自分で街角に立ち、いわゆるフリーとして客をとっていたナナは、このラウールに出会うことでプロになる。すると、これまで優しかっただけのラウールが急にビジネスライクに娼婦としてのマニュアルのようなことを話す場面がある。すると、それまではなんとなく躊躇していたナナが「これはビジネスなのね」と割り切るようになるのである。

この映画の見どころはたくさんあるのだけれど、私自身がいちばん思い返す場面はここだ。パリには何人の街娼がいて、客を一日平均何人取っていて、料金はいくら、本人へのバックはいくら、警察への対応は…というラウールのモノローグにパリの町の風景や娼婦たちのカットが重なっていく。アマチュアがプロになり、お試しが本業になり、好奇心が覚悟になる瞬間がここにある。

どんな仕事でも、さあ、これで生きていこう!と心を決めるにはそれなりの覚悟がいる。そう考えると、ナナをその気にさせたラウールはなかなかのやり手である。まずは、第6章あたりの彼の優しさとナナをその気にさせるテクニックを見ていただきたい。そして、その後、彼の態度がどのように変化するのか。釣った魚にもう餌はやらないという態度になり、都合が悪くなれば捨ててもかまわない、という冷酷なものに変わる。もちろん、ナナだってその変化を見逃さない。そして、不幸はふいにやってくるのだ。

人と人とが使えるところだけを持ち寄って、ギブ&テイクで仕事をする。それはビジネスの基本かもしれない。けれど、その関係は意外に早く破綻するような気がする。ギブ&テイク+α。この+αが最後の不幸を回避する何かなのかもしれないと最近、よく思うのである。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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