第14回 里山こそが「究極の庭」

この対談について

庭師でもない。外構屋でもない。京都の老舗での修業を経て、現在は「家に着せる衣服の仕立屋さん(ガーメントデザイナー)」として活動する中島さん。そんな中島さんに「造園とガーメントの違い」「劣化する庭と成長する庭」「庭づくりにおすすめの石材・花・木」「そもそもなぜ庭が必要なのか」といった幅広い話をお聞きしていきます。

第14回 里山こそが「究極の庭」

安田
前回、人工と野生のバランスが取れているのが「自然に近い庭」だというお話を伺いました。それで言うと、究極は「里山」なんじゃないかと思いまして。

中島

ほう、なるほど。里山と言うと、山奥と人里の中間のようなところですよね。

安田
そうです。私自身、里山の存在、というか言葉を知ったのが50歳を過ぎてからで。

中島

都会に住んでいるとなかなか接点がないですからね。

安田
そうなんですよね。実際に行ったことはないんですけど、テレビで見てから気になっていて。「少しだけ人の手が入った自然」というのが絶妙なバランスだなぁと。

中島

確かに一時期バラエティー番組でよく見かけましたね。「人と自然が交わっている」という点が、お庭と共通するのかもしれません。

安田
まさにその通りですね。全くの手つかずでは、木も生え放題だし足場も悪い。それを伐採して整えて、人里との境界線としてできあがってきたものだと思うんですよ。

中島
そうですね。そう考えると、その地域では重要な役割を担っているんでしょう。とはいえ最近は里山が減ってきて、熊などが人間の住む場所まで降りてきて騒動になったりしてますね。
安田
人間界と動物界の境目が曖昧になってしまったんでしょうね。

中島
ええ。里山こそが、人工と自然の緩衝地帯でもあり、ほどよい中間地点でもあり。
安田

そういう意味でも里山は「究極の庭」なんじゃないかと。昔は田舎の方だと、「それぞれの家に庭を作る」という習慣はなかったと思うんですよ。里山が集落全体の庭のような存在だった。


中島

昔から庭は「自然の良い部分を切り取って再現したもの」だとも言われます。そういう意味では確かに、「自然」に人の手を加えて、適度に整理したものが里山ですもんね。

安田

里山もお庭も、「人の手が加わった自然」であると。


中島

矛盾しているようですが、自然に見えるようにするには、人の手が必要なんですよね。お庭でも石がただ並べてあるように見えて、その向きや配置は緻密に計算されています。

安田
そうやって人が介在しないと、むしろ自然には見えないということですね。面白い。

中島

もちろん河原などで、岩や石が自然に積み上がっているところもあります。ただ間近で見るとどうしても粗が見えてしまって、思わず自分で積み直したくなったりして(笑)。

安田
笑。山の上や東京タワーから見た夜景はすごくキレイなのに、昼間その場所に行ってみたらゴミだらけでガッカリしたりしますもんね。

中島

そうそう。細かいところが見えないからこそ綺麗なんですよね。

安田
そうですよ。人間だって近づきすぎるとすごく生々しいですから(笑)。

中島
それはそうですね(笑)。綺麗な川や滝も、遠くから見ていた方がいい。近づきすぎると、汚れたり危険だったりしますし。
安田
それで思い出しましたけど、子どもの頃はアマゾンの奥地に憧れてたんです。ああいう大自然の中に行って、様々な生き物を間近で見てみたいと。でも今行ったら耐えられないだろうな(笑)。

中島
例えば四万十川の清流がキレイなのは、あれはある程度人間の手が入っているからです。アマゾンのような手つかずの自然とは、やっぱり別の「自然」ですよね。
安田
確かに、同じ「自然」でもだいぶ違いますね。

対談している二人

中島 秀章(なかしま ひであき)
direct nagomi 株式会社 代表取締役

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高校卒業後、庭師を目指し庭の歴史の深い京都(株)植芳造園に入社(1996年)。3年後茨城支店へ転勤。2002・2003年、「茨城社長TVチャンピオン」にガーデニング王2連覇のアシスタントとして出場。2003年会社下請けとして独立。2011年に岐阜に戻り2022年direct nagomi(株)設立。現在に至る。

 


安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 


 

 

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