地元国立大学を卒業後、父から引き継いだのは演歌が流れ日本人形が飾られたケーキ屋。そんなお店をいったいどのようにしてメディア取材の殺到する人気店へと変貌させたのかーー。株式会社モンテドールの代表取締役兼オーナーパティシエ・スギタマサユキさんの半生とお菓子作りにかける情熱を、安田佳生が深掘りします。
第8回 負け越し人生は、幸せの感度が高い
この対談のタイトルは『あるパティシエ』ですが、これはスギタさんの愛読書『ある男』にインスパイアされて私がつけさせてもらったもので。
私も読んでみたんですが、小説としてももちろん面白かったんですが、なんといっても本の中に書かれていた「3勝4敗」という考え方にすごく感銘を受けまして。
いいですよね、あの考え方。勝ちよりも負けの数が少し多い方が良いって。
そうそう。私はそれまで、7戦するとして7勝全勝を目指す必要はないけど、4勝3敗だったら十分豊かに生きていけると思っていたんです。
確かにすごく上を目指さなくても、平均より少し上にいくだけで、収入とか生活レベルは格段に良くなりますからね。
ですよね。ところが『ある男』の中では「3勝4敗がベストだ」と言っている。
パッと見は「負け越してるじゃん!」って思いますけどね(笑)。
そうなんですよ(笑)。でも勝負事ではなくて「人生」で考えると、この「負け越し」が良いんだということなんですよね。
作中で「みんな人生に期待をしすぎている」というセリフがありましたが、まさにその通りで。1敗でもしようものならそこばかりフォーカスして後悔し続ける。でも3勝4敗くらいの心持ちで生きていられたら、実は一番幸せなんだろうなというのは思いましたね。
「3勝4敗」の精神で生きていると、気持ちの面で楽になるのはもちろんなんですけど、私としてはそれが「人生の勝ちパターン」になるんじゃないかとも思っているんですよ。
ほう、勝ちパターンですか。
逆説的ですが、「損を取ったほうが結果的に勝てる」んだろうなと。実はこれ、昔私が本の中で書いた「仕事で主導権を握るにはどうするか」という話にも似ていて。例えばある企業と提携した場合、その提携先よりも自分がもらう利益を少なくするんです。
わざわざ自分が損をするように仕向けるんですか?
はい。例えば6:4で相手に少し多く利益が入るようにする。そうすると相手としては自分が儲かっているからこの提携をできるだけ続けていきたいという気持ちが強くなりますよね。
ああ、そうするとこちら側の要求や提案を受け入れてもらいやすくなるわけですか!
仰る通りです。少し損をするだけで、交渉の主導権は握れるんです。
なるほどなぁ。
仕事の話ではこういう考え方を持っていたんですが、まさかそれを人生にも転用できるとは考えたこともなかったので、『ある男』を読んで驚きましたね。だって、別に大金持ちじゃなくてもいいけど、平均よりちょっと上ぐらいがいいと思うのは普通ですよね?
そうですね。日本人の平均所得とか平均貯金額とかより、自分の方がちょっと上だったらなんとなく安心しますもん(笑)。
ですよね(笑)。だけど「3勝4敗」の考え方は、平均よりもちょっと下ぐらいが一番心地よく生きられるって言っている。たぶん「ちょっと負けている状態」が、幸せの感度が最も高くなるってことなんですよね。
些細なことでも幸せを感じられるということですか?
ええ。例えばいつも「すごい」と言われている人は、周りからの期待値が高い分、絶対失敗できないからしんどいはずで。でもあまり期待されていないような人がちょっと結果を出すと、すごく高い評価をもらえたりするじゃないですか。
確かに。今のお話を聞いて思ったんですが、僕は昔から「いつもちゃんとした行動を取らなきゃダメだ」と考えるタイプだったんですね。いつでもちゃんとした格好をして、誰に対してもちゃんとした応対をして…みたいな。
なるほど。
でもそうすると周りからの評価は「スギタはちゃんとしている人」で固定されてしまうじゃないですか。だから、僕が「ちゃんとやっていること」については誰も褒めてくれないんですよ(笑)。
スギタさんがちゃんとしているのは「当たり前のこと」になっちゃうんですね。
そうなんです。でも「この人、大丈夫か?」っていうようなだらしない人が僕と同じことをすると、「この人、すごい!」ってものすごく称賛されるんですよね(笑)。となると、わざわざ「ちゃんとした自分」として振る舞うことにメリットはないんじゃないか、と思ったわけです。
なるほど。「いつもちゃんとしている人は、ちゃんとしていることが普通になる」のと同じで、「4勝3敗」が当たり前になってしまうと、「勝ちが1個多い状態が普通」になってしまうということですね。
そうそう。ところが「3勝4敗」、つまり「負け越しているのが普通」であれば、1個の勝ちがものすごく輝いて見えると。それが先ほど安田さんが仰っていた「幸せの感度が高い」ということにも繋がると思うんですけど。
そうですね。他人から見れば勝ちの数が多い方が幸せな人生だと思われるのかもしれない。でもその状態が幸せかどうかって、結局はその人自身が決めることで。だから人生トータルで見た時に、ちょっと負け越した状態でいる方が、実は幸せをたくさん感じられているんじゃないかなと思うわけです。
「人生なんて、負け=不幸があるのがスタンダードだもんな」と思って生きていれば、勝ち=幸せに出会った時にものすごく喜べますもんね。いやぁ、これ、本当に良い生き方ですね!(笑)
笑。
3勝4敗の話とは少しずれてしまうんですが、『ある男』のもう1つの問いかけとして「もしも全く別の人として生きられたのなら、より良く生きられるのではないか」ということがあると思うんです。安田さんも、そんな風に他人の人生を生きてみたいと思ったことありますか?
子どもの頃は「朝起きたら、自分以外の誰かに生まれ変わっていますように」と思うこともありましたが、大人になってからは、「他人の人生を生きてみたい」と考えたことはないですね。ただ「自分の人生を、自分とは全く違う人間として生きてみよう」と思ったことは何度かあります。
と言いますと?
全く別の人間が、「安田佳生」を操縦したらどうなるのかなと考えるんです。自分自身を乗り物に例える感じで、安田佳生という「乗り物」自体は変えられないけれど、それを動かす「運転手」は変えられるんじゃないかと。そういうのは何回かチャレンジしてみました。
へぇ、面白い! その結果、行動が変わって、生き方自体も変わっていったんですか?
変わりましたね。もちろん同じ体なので、肉体的には何も変わらないはずですが、「考え方」次第で人間は変われるんだなと実感しましたね。
ふーむ。つまり、それまでの思考のクセみたいなものを変えるわけですね。それで別人のようになることも可能だと。
はい。例えば記憶喪失になったとしたら、きっと人生がガラッと変わりますよね。それまでできなかったことができるようになったり、逆もまた然り。つまり自分ができる・できないというのは、自分自身の「思い込み」でしかないんですよ。
なるほどなぁ。そこまで自分自身をメタ認知できるのは素晴らしいですね。僕も会社とか経営を俯瞰して見ることで、「スギタマサユキというプレイヤーをどう扱うのがベターか」ということはよく考えますけど、「自分自身の中身をどう変えるのがいいか」なんて考えたことなかったです。
たぶん私は、人間「安田佳生」をどう操縦していくか、ということに興味があるんだと思います(笑)。
わざわざ他人の人生を生きようとしなくても、自分自身の考え方を変えれば、より良い人生を送ることができるんですね。いやぁ、すごく興味深いお話をありがとうございます(笑)。
「3勝4敗」の話からここまで話題が広がるとは思いもよらなかったですね(笑)。この対談の読者の方の中で、まだ『ある男』を読んでいらっしゃらない方がいれば、ぜひ読んでいただきたいと思います!
対談している二人
スギタ マサユキ
株式会社モンテドール 代表取締役
1979年生まれ、広島県広島市出身。幼少期より「家業である洋菓子店を継ぐ!」と豪語していたが、一転して大学に進学することを決意。その後再び継ぐことを決め修行から戻って来るも、先代のケーキ屋を壊して新しくケーキ屋をつくってしまう。株式会社モンテドール代表取締役。現在は広島県広島市にて、洋菓子店「Harvest time 」、パン屋「sugita bakery」の二店舗を展開。オーナーパティシエとして、日々の製造や商品開発に奮闘中。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。