第96回 葬儀の目的は「心の整理」か、「遺体処理」か

この対談について

株式会社ワイキューブの創業・倒産・自己破産を経て「私、社長ではなくなりました」を著した安田佳生と、岐阜県美濃加茂エリアで老舗の葬祭会社を経営し、60歳で経営から退くことを決めている鈴木哲馬。「イケイケどんどん」から卒業した二人が語る、これからの心地よい生き方。

第96回 葬儀の目的は「心の整理」か、「遺体処理」か

安田
先日鈴木さんが、「最近は葬儀は単なる遺体処理に近づきつつある」って仰っていたのが衝撃だったんです。ご葬儀は「遺された人が心の整理をするための場」だと私は思っていたので。

鈴木
もちろん基本的にはその通りです。ただ昔に比べて人間関係が希薄な家族が多くなってきたのか、ウチでも「1日葬」とか「火葬式」を選択される方が増えてきまして。
安田
ふーむ。火葬式ってお通夜や告別式といった儀式を何もしないものですよね?

鈴木
ええ。火葬場でご遺体に会って、お別れをして、それで終了です。
安田
へぇ…個人的にはなんとも寂しいお別れですけれど。でも逆に言えば、それでもいいと思えるくらいの関係性だったということなんでしょうね。なんなら火葬場にも行きたくないくらいの。

鈴木
どなたかには必ず火葬場に来ていただかなくてはいけない決まりなので、確かに仕方なく来ている方もいらっしゃるのかもしれません。…でも、それは故人のことを想いながら送り出しているわけではないので、やはり葬儀というよりは「遺体処理」に近いようにも思います。
安田
なるほどなぁ。逆に故人としっかりとした関係性のあったご遺族がやる「お葬式」にはどんな意味合いがあるんでしょうか? 亡くなられた方を送り出すのが目的なのか、遺族が心の整理をつけるのが目的なのか、鈴木さんはどう思われます?

鈴木
ほとんどの方が「故人のため」と思われているでしょうし、実際、ご葬儀中は「亡くなられた方を送り出すこと」に意識が向いていると思います。でも実際には、参列されたいろんな方と故人の話をしたりすることで、自分の心の整理にもなっている。そういう意味で両方の意味があると思います。
安田
ふ〜む、なるほど。…実は私の両親は「大々的な葬式はやらなくていい」と常々言っていて。実際父が亡くなった時、参列したのは母と兄と私の3人だけで、母が亡くなった時は私と兄の2人だけで送り出したんです。

鈴木
じゃあ安田さんのお子さんたち…つまりお孫さんたちも葬儀には参列しなかったんですか?
安田
そうなんですよ。子どもたちにとってはお爺ちゃんお婆ちゃんの葬式なわけで、当然参列したがったんですけど。ともあれ、亡くなった本人たちの意思を無下にはできないじゃないですか。結局子どもたちの参列は叶わず、それが多少のわだかまりとして残ってしまいました。

鈴木
ああ…そうでしょうね。なかなか難しい問題です。
安田
ええ。結局その後の四十九日には子どもたちにも参列してもらって、それでなんとか区切りがついたんですけど。

鈴木

なるほどなるほど。そういうお話を聞いていても、やはり葬儀は故人と遺族の両方のためにある儀式なんでしょうね。あるいは家族以外の友人知人なんかにとっても。

安田
そうそう。そのあたりも難しいですよね。参列者はある程度家族側が決めるわけで、「参列したかったけどできなかった」みたいな人がどうしても出てしまう。そういう人は区切りをつける機会をある意味永遠に失ってしまうわけで。

鈴木
わかります。なので葬儀とは別に「お別れの会」のようなものを開く方々も多いですよ。故人と親交のあった人たちが気軽に参加できるようなものを。
安田
ははぁ、そうなんですね。そういえば以前、「ご遺族不在のお別れ会」というのをやったらどうかっていうお話もしましたよね。そういう会を葬儀会社が主体となってやる時代、そろそろ来るんじゃないですか?

鈴木
来ますかねぇ(笑)。でも確かにそういう会をプロデュースはできるかもしれないな。
安田
ご遺族だけでなく、故人の友人たちが「心の整理ができる儀式」のプロデュース事業、ぜひ鈴木さんに挑戦していただきたいです。

 


対談している二人

鈴木 哲馬(すずき てつま)
株式会社濃飛葬祭 代表取締役

株式会社濃飛葬祭(本社:岐阜県美濃加茂市)代表取締役。昭和58年創業。現在は7つの自社式場を運営。

安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 

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