泉一也の『日本人の取扱説明書』第89回「無限の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第89回「無限の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

子供の頃にこんな会話をしたはずである。

「一番大きい数字は何でしょう?」
「無量大数!」

無限大のことであるが、子供ながらに一番大きいものは何か知りたいという欲求の現れである。その後、高校数学で極限という項目があり「n→∞」が出てきて往生した。

ちなみに「∞」はメビウスの輪(帯)を表すが、メビウスの輪は、表を歩いていると氣づいたら裏にいることになり、表裏が一つになった状態=表裏一体を現す。無限とどう関係しているのだろうか。

ここで一旦ストップ。数学が嫌いな人は進むのをやめたほうが身のため。アレルギーが出ても当方は一切責任をおいませんので。

では自己責任で続きを。

我々は数えられる有限のものしか認識できないのに、無限を知っている。1/3と1/3と1/3を足すと1になるのに、0.33333••(小数点以下が無限に続く無限小数)を3つ足すと0.99999‥となり、なんと1にならない。

1/0.1 =10、1/0.01=100、1/0.001=1000と分母をどんどんゼロに近づける、つまり分母を小さくしていくと無限大になってく。ゼロと無限が表裏一帯だとわかるだろう。

ゼロと無限が表裏一体。その間に1(有限)がある。メビウスの輪の上を歩いているようだ。自分という有限な実体は、ゼロと無限の間に存在している。
日本人の祖先は、数学を知らないのにゼロと無限を知っていた。ゼロと無限の表裏一体が「神」であり、その間に人間が存在すると知っていた。無限を現す八百万を神とし、神とはどこにでも存在するが(無限)、どこにも存在していない(ゼロ)の表裏一体ということだ。

ゼロと無限を感じることで、神の世界への戸が開く。我がふるさと神戸である。神戸は神の次元へ続くゲートなのだろう。

ここでまたストップ。月刊ムーが嫌いな人は進むのをやめたほうが身のため。アレルギーが出ても当方は一切責任をおいません。

では自己責任で続きを。

ゼロと無限の表裏一体をお釈迦様は「空」といった。悟りの境地に達した時にそれがわかった。自分の意識をゼロにした瞬間、無限の宇宙がそこに現れたのだ。その悟りを開いたお釈迦様は「我が教えは東の果ての国にて大成する」と言われたとか言われないとか。「無限の国の住人」をお釈迦様は知っていたのかもしれない。

ところがその日本人が、有限の世界に閉じ込められ「有限思考」をひっきりなしにしている。有限思考とは自分の認識で勘定できる思考のことである。目に見える数えられるものばかりに意識がいき、多くの制約条件を課しながら狭苦しく想像をする。

想像の世界は無限のはずなのに、想像の世界ですら有限にしているのだ。
神への戸は閉ざされたが、その戸の開け方はDNAが知っている。ゼロと無限を感じることが、その戸を開ける鍵である。

このコラムを最後まで読んだ方は無限のバカである。

コラムの内容はゼロであるが、無限の価値がそこにあるのがわかっていただけただろう。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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