泉一也の『日本人の取扱説明書』第115回「太陰の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第115回「太陰の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

子供の頃「虫の観察・実験・理屈」が好きだった私は、自然と理系の道に進んだ。理系に進むと学ぶことは西洋的なものばかり。数学ではx、y、物理ではF=ma、化学ではH, He, Li, Be・・英語が苦手な私はそれだけでアレルギーだった。理系に「和風」が欲しかった。

江戸時代、日本で科学が発達しなかったのはなぜなのか。元禄文化に化政文化と、文芸に絵画に学問に花開き、化政文化では海外の知見を積極的に取り入れていた。私のような理系人は日本にもたくさんいたはず。なぜ、日本で科学が発展しなかったのか。鎖国が決定的な要因ではないだろう。

科学のイメージは「西洋」。物理・化学・生物に数学に登場してくる偉人たち、ガリレオにニュートンにアインシュタイン・・、法則や定理に付けられた名前、ピタゴラスにパスカルにオイラー・・ほぼ欧米人である。

現代は科学文明であることは間違いない。医療、エネルギー、交通、通信、建築土木、電化製品、電波、コンピュータにAI、鉄にプラスチックといった素材・・・科学技術が我々の生活の土台となっている。このうち一つでもなくなると、生活に仕事にすごく困る。

科学の恩恵によって人の生活は豊かになり、人類は70億人まで発展した。こうして西洋発祥の科学を世界中が享受しているので、世界中どこに行っても「西洋臭」がする。特に二番煎じとなった日本はもちろん西洋以外の国々は、科学文明が板についてないので「CHANNEL」のようなバッタものの感がある。中国にあったディズニー・パクリ・ランドに近い。

日本史を紐解くと、奈良時代にはすでに「算道」という算数の「道」があり、天文学につながる暦を読む「歴道」と合わさって「歴算道」があった。中国や朝鮮から優秀な人材に来てもらい、算道を発展させていく。そして茶道のように家元として子に弟子に「算道」は伝承されていった。

そして陰陽師が生まれた。土御門家(つちみかどけ)といった「家元」が有名だろう。陰陽師は国家の要職である。なぜなら暦を読めるということは、天気を読めることであり、その天気に左右される農業を握ることになるからだ。農業とは国家の「食料と経済」。それに大きな影響を与える存在が陰陽師であった。

陰陽師は「陰陽五行」を土台にして自然界を読み解いていく。自然界は、木・火・土・金・水という5つのエレメントと陰と陽の太極が原理原則という考え方である。暦は太陰太陽暦。太陰暦をベースにしながら太陽の運行を加味し「閏月(うるうづき)」を入れてズレを調整する暦だ。そして太陰暦には季節ではなく「氣節」という、変化の「ツボ」を感じる印があった。

科学でも物質を構成する「分子」、「分子」を構成する「原子」といったエレメントを解き明かし、電磁場でもプラスとマイナスといった極を解き明かしていく。

陰陽五行と科学は自然の捉え方が違う。陰陽五行は「生命現象」として自然を捉え、科学は「物質現象」で自然を捉える。科学文明=物質文明のイメージが強いと思うが、それは科学が物質現象の法則を解明し、物質的豊かさを生み出せるからだ。

明治3年、明治政府は陰陽寮を廃止し、陰陽師は国家から疎外されることになった。暦を太陽暦に変え、陰陽は迷信だといった噂を流し、名門土御門家は一気に廃れた。富国強兵は「物質的な豊かさ」が必要だったからだ。

そんな豊かさをもたらしてくれた科学は、生命現象である「新型コロナ」に右往左往している。日本人なら、そろそろ氣節を感じる和食が食べたい頃だろう。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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