第173回「日本劣等改造論(5)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― “コミュニティ”という免疫(前編)―

英国には「7つの階級」といった身分階層がある。中間層は流動的だが、最上位層のエリート(上級国民)と最下位層のプレカリアート(下級国民)は、階級(クラス)がはっきり分かれている。英国の文化を受け継ぐ米国では、1950年に始まった公民権運動まで人種差別が強烈にあり、それが今なお残っている。最近の米国のSFやファンタジー映画の登場人物は人種ミックスが必ずされているが、そこまで徹底しないと人種差別が自然と行われてしまうのだ。

日本では明治時代に、西洋の階級制度を模倣して公家や大名を特権階級とする華族制度を導入した。しかし、戦後は廃止された。GHQが廃止させたわけではない。身分階級を当然とする国が廃止させる理由はない。日本人自らが身分制度を廃止した。明治から80年近く身分制度は、日本に合わない制度、いや弊害のある制度だったという結論なのだろう。

「明治時代が階級社会?いやいや、士農工商という階級が江戸時代にあって明治維新で民主化されたんでしょ」と思わなかっただろうか。今の歴史の教科書には「士農工商」という言葉はない。江戸時代は「お上」と「お公家」といった庶民から遠い階層があっただけで、階級制度はなかった。明治維新によって四民平等となり身分階級がなくなったように思えるのは、市民革命(明治維新)によって支配者(幕府)から権利を勝ち取った民主化の歴史として学んだからだ。それとは真逆で西洋の階級社会が導入されていた。

明治に導入した西洋型の階級社会によって、日本は世界の強国にのしあがったが、その裏で国民の命を軽視した。そんな事例は数え上げるとキリがないが、その最たるものが、戦没者の遺骨放置だろう。日本は国の腰が重く、民間の力が主体となって遺骨を収集しているのが現状である。

太平洋戦争では、赤紙によって徴兵された国民は、故郷から遠く離れた戦線に派兵された。前線は過酷、いや地獄。武器弾薬・食料・医薬品がほとんどない状況で戦った。戦わずして多くの国民が餓死・病死で亡くなった。玉砕や自害をした者も多くいた。

兵站が十分でないことは、上位の軍人はわかっていた。現場に無理をさせていた。そんな状況でも、国を故郷を家族を守らんと、命を投げ打った前線の兵士たち。戦後、彼らの遺骨を探し出し、その無念の想いを受け、感謝し、慰霊し、故郷の家族にお返しするのは、赤紙を発行した国の責任。兵站を疎かにし現場に無理をさせた罪ある者の責任。その責任を放置する国は、世界でも日本ぐらいである。

明治に始まった階級社会は、国民の命を軽視した数々の所業を重ね、さらにその責任を取らなかったことによって、日本人は国に対する信頼が極端に低くなった。「ぼくは日本という国に誇りを持っています!」なんていうと、右翼扱いされるのは、そういった背景がある。

さらに日本で公的な仕事に携わる人は自尊心を持ちにくい。公共事業というと「無駄遣い」といった印象を持たれてしまうからだ。たとえば、日本における土木事業は、世界有数の天災が巻き起こる国土を守る誇り高い公共事業である。急峻な山と急勾配の川を数々突っ切る東海道を高速鉄道で開通するというのは、ヨーロッパやアメリカ大陸といったなだらかなで広大な平地で高速鉄道を走らせるのとは次元が違う。しかしながら、私の出身の土木工学科は地球工学科とオシャレな名前にあっさりと変わったように、日本における公共事業の大切さはほとんど知られてない。

西洋はノブレスオブリージュといった「社会的な責任と義務」の精神を育てた上での階級社会である。今もサーなどの称号を与えているのを見ればわかるだろう。日本はそうした精神性を育てる文化を導入しないまま、階級制度だけをコピペしてしまった。明治以降の義務教育で修身といったノブリスオブリージュ的教育を国民全員にしていたが、階級社会ではエリート層の教育であった。穿った見方をすると、一般庶民に責任の所在を分散させてしまったのだ。

それでも武士道があるではないか!と思うだろうが、西南戦争で士族が滅ぶのと同時に途絶えていった。海外に日本の精神性を説明するために、新渡戸稲造がわざわざ武士道として言葉にしたが、西洋からすると騎士道と重なったので、人気を博しただろう。すでに日本では廃れ始めていたのだが。日本を憂いた三島由紀夫は、武士道にこだわって腹を切って死んでいったが、その忸怩たる思いが見えてくるだろう。(前編終わり)

そんな三島由紀夫の想いを感じながら、後編では江戸時代から劣等ウイルスの免疫を探し出してみることにする。

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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